校長より

生徒の皆さんに伝えておきたいこと ~離任の挨拶~

2020年3月31日 20時39分

 今年、いろいろな場面で先生方を通して生徒の皆さんにお願いしてきた一部を列挙してみます。

1 夢出せ!知恵出せ!元気出せ!

 これは、人生を生き抜くための魔法の言葉です。夢(目標)をもって、それに向かう知恵(道筋)を見つけることが重要です。そして、なぜ自分はこの夢を持ったのか、志や理由・根拠を十分に考えることで元気(目標遂行の原動力)が湧いてくるのです。

 今、大きな夢がないことを嘆く必要はありません。今すぐに実現できない一つの大きな夢を持つよりも、千の小さな夢・目標を見付け、達成していくほうが実際的です。今は夢達成の練習をしていると考えてほしいと思います。一つ一つ積み重ねているといつか大きな夢が見つかるはずです。だからこそ、今は目標達成の原動力である“志”を磨くことが大切です。

2 夢の見つけ方

 夢とは何か。「夢」=「ウォンツ」ではありません。つまり、自分のしたいこと、イコール夢ではありません。それは、「ニーズ」、「シーズ」が大切だからです。「ニーズ」とは、「望み」人がそれを「望んでいる」かということです。これは、人間社会で生きていくうえでとても大切なことです。人が望まない夢はおそらくいい夢とは言えません。もう一つ、「シーズ」も重要です。つまり、自分の中に「種」があるかということです。しっかりと勉強していると自分の中にある種が見つかります。ただし、教室、家の机の前だけが勉強の場ではありません。生活そのものを勉強の場とします。

3 なぜ勉強するのか

 それはひとえに楽しいからです。ただ単に面白いからです。これが一番の理由です。だから、勉強する楽しさ、おもしろさをつかんでください。もし、おもしろくならなかったら先生方が悪いのです。先生に思いっきり、文句を言いましょう。「楽しい授業、おもしろい授業をしてください」と。また、ぜひ先生方にどうすれば楽しくなるのかとことん聞いてください。決して、勉強は苦しいけどいつか役に立つ時がくるからとか、楽しくないけど高校入試があるから、等の理由で勉強をしないでください。

 本校の先生方には、「生徒が教科に興味を示さないのは、先生方の授業がおもしろくないからだ。それと同様に、自分を好いてくれないのは、自分が生徒に好かれるようにしていない、生徒を愛していないからだ。もし、生徒が自分の方を向いていなかったらそれを自分の方に向かせるのが教師の仕事であり、それこそが教師のやりがい、生きがいで、醍醐味がそこにある。」と本校の先生方には伝えています。先生方は楽しい授業、おもしろい学級づくりに努めています。だから、生徒の皆さん、保護者の皆様、まず先生を信じてください。ぜひ信頼してほしいと思います。

4 気づき考え行動する

 私は「気付き考え行動する」とよく言ってきました。これは、「知行合一」という考え方をわかりやすく説明するのにいいと感じたからです。つまり、気付いたということは行動が伴うことだ(行動できなければ気付いたとは言えない)という考え方です。

 「自ら省みて直くんば千万人と雖も我往かん」という老子の考え方が好きです。自分が志を立てたならば、千万人に反対されようと、楽しみながら自分は自分の道を突き進むということです。今年の3年生が入試において、自分の道を切り開く姿を頼もしく感じました。まさに、精一杯の努力をしながら、自分の信じた道を突き進み、見事難関を突破してくれたことに感謝します。

5 緊張と弛緩

 簡単に言うと、「やるときはやる」ということです。「よく遊び、よく学ぶ」ということです。いつも緊張していては、大きな力を生み出すことができません。今の2年生はメリハリがついてきて、大事な時に実力を発揮できるようになってきましたね。本番に強いと言われるゆえんです。1年生はいつも少し緊張のしすぎかもしれません。大きくジャンプする際に、深く沈み込む動作が必要であるように、緩めるとき、踏ん張るとき、力を出し切るときなど、経験を積んで力の入れ方を学んでいくと、きっとすばらしい学年になると思います。どんなに成長してくれるのか、本当に楽しみです。

6 過去と他人は変えられない、自分と今は変えられる

 言葉通りの意味です。他人は変えられません。他人が変わらないのは、自分が変わらないからです。相手に変わってほしかったら、まず自分が変わることです。「人間関係の不思議は、自分が相手の心の中にあると信じたものが、相手の心に育ってくる(ミハエル・ハミルトン)」と述べています。相手をいやな奴だと思えば、相手の中にいやな心が育ってくる。相手をうっとうしいと思えば、相手の中にうっとうしさが生まれてくるのです。逆に、相手を尊敬すれば尊敬できる何かが育ってきます。これは間違いありません。36年間の教員生活で実証済です。ですから、他人に対して、この人にはこんないい所があると念じ続けてください。1年後には、間違いなくそんな人物になってくれます。友人に対して、相手が自分を好きになってくれたら、私も好きになるではなく、相手は好きになってくれなくても私はこの人が好きと思ってほしいと思います。そう心に念じ続けると、相手にも同じ心が育ってきます。ぜひ試してみてください。

 相手に変わってもらおうとせず、自分が変わりましょうね。

7 温かな心から出る温かな言葉

 言葉遣いの大切さはこれまで十分に伝えてきましたので、省略します。言霊の国ですから、言葉を大切にしましょう。

 

 伝えたいことはまだまだたくさんありますが、このあたりで終わりにします。

 ただ、36年の教員生活を終えて、本当に楽しい日々でした。教職って、本当におもしろいです。教師の指導や支援、声掛けであっという間に生徒が激変するからです。恐ろしい部分もありますが、だからこそ1日1日緊張の連続で、それも刺激的です。

 教員生活の中でも、この学校での1年は最高でした。素晴らしい生徒、保護者の皆様、地域の皆様、先生方に恵まれたからです。生徒の皆さんのおかけです。保護者の皆様、地域の皆様、先生方のおかげです。ありがとうございました。心より感謝申し上げます。

 実は、つい先日まで、ごくごく最近まで、今年度の1年生が卒業するあと2年しっかりがんばろうと思い、アクティブラーニング、SDGs、道徳科、ローカル5G設置に向けた取組等、来年度への準備を進めていたのですが、どうしてもやらねばならない大切なことに気付いてしまいました。行動が伴わなければ、気付いたことにはならないというのが私の信条ですから、いつも生徒に言ってきたいた以上、それが困難な道であっても楽しみながら進んでいくのみです。そういえば、「人生は選択の連続だ。人生の岐路で皆さんは困難だと思われる道の方を選びなさい。ピンチと思えるときこそチャンスです。」なんて言ったこともありましたね。

 最も大切な存在である久万中生にとって、私ができる最善策を何かと考えたときに考え出したのがこの選択でした。皆さんとの出会いが私の考えを変えてくれました。「人は出会うべき人に必ず会うことができる しかも一瞬早すぎず、一瞬遅すぎないときに(森信三)」。皆さんとの出会いは、偶然ではなく必然だったのです。ただし、これはあくまで私の主観であり、皆様にとっての最善策ではないかもしれないことをお許しください。今後も、自分なりの挑戦をしたいと思います。

 皆様のご健康、ご多幸をお祈りして、お礼の言葉といたします。

 

                                      小田哲志

 

修業式式辞「皆さんは、この子たちを好きですか?」

2020年3月24日 20時43分

※ 今回の式辞は、卒業式と卒業生見送りの間の短い時間を使っての終業式としました。そこで、修業証書授与と生徒指導主事 菅教諭等の連絡事項を優先しましたので、式辞は伝えたいことを端折ってお話ししました。また、卒業式で硬いお話をいたしましたので、柔らかいお話にさせていただきました。

 

1 「皆さんは、この子たちを好きですか?」。

 これは、昨年の春休み、まだ生徒の皆さんに出会っていないときに最初の職員会で先生方に訊ねた質問だ。元からいた先生方が少しぶぜんとした顔つきで、声をそろえて、「好きだ、いい子だ!!(当り前じゃないですかと言わんばかりに…)」。そこで、「じゃあ、(彼らを)本当に大好きなら、もし大切だと思うならば、全身全霊、本気でやってほしい!教育は崖の上から生徒を引っ張り上げるものではない。生徒の踏み台となって、塀の向こうの世界を見せてやることだ。塀の向こうに行かせることだ。力の限り、全力でやってほしい!そのためなら私ができることから何でもする。できることからすぐにやる」とお願いとお約束をしたが、その先生方を頼もしく感じた。そして、その後先生方はその言葉通り、期待にしっかりと応えてくれたと思う。(確かに、学校評価等でもご指摘の通り、不十分な点は多々あったと思います。心よりお詫び申し上げますとともに、次年度、必ずや改善していくものと思っています。)私は、皆さんのために尽力してくれた本校の先生方を私は心から尊敬をしている。また、先生たちについてきてくれた皆さんに感謝している。

 まず、このような旨の話を行いました。この後、話した内容、話したかった内容を常体で書いてみます。

2 感謝する心

 次にお話ししたのが、「感謝の心」です。

 皆さんの先生方は、時間を超えても、何一つ文句言わずしっかりと取り組んでくれている。先生たちは1年のお付き合いだが、皆さんの保護者の方々、おじいちゃん・おばあちゃん、地域でかかわってくださっている皆様との付き合いは一生だ。その間、ただただ皆さんの健やかな成長を祈って、皆さんの喜ぶ顔が見たくって、かかわってくださっており、そこには私利私欲はない。

 だから、まず、何事にも、また、すべての人、万物に感謝できる生徒になってほしい。

 では、これを何によってお返しするか、お返しできるか。それは皆さんが成長することでしか、素晴らしい人物になることでしかお返しすることができないし、それでいい。

 ただ、もし感謝の気持ちを表したいときには返し方はある。それは言葉や日々の挨拶である。もし先生方にお返ししたいのならば、「はい」という返事、笑顔であいさつ、授業中の姿勢、靴の整頓等だ。後は健康であってくれたらそれでいい。

2 気づいたら行動するみんなになってほしい。

 長くなるので、割愛しました。気付くというのは、行動まで至ることがということを言いたかったのですが、説明はしませんでした。

3 みんな、辛いかい?

 志の大切さを述べました。

質問(1) 「辛」に一角加われば、なんという字になりますか?

質問(2) 「何が加われば幸せになるんでしょうか」

  自分の行動が意味あるものだと思えること。夢があること、目標があること。かつて行った研修会でふたをすれば幸せになれるといった人もいた。

 では、「辛」ではなく、「幸」にする一角は何か。これには正解がないが、私の考えは、志、野望、動機を持つことだと思うのです。

 ある時、いつも遅くまで残っている日野先生(どの教職員も夜遅くまで残っており、本年度の働き方改革は大いに反省する必要があります。)に恐る恐る「辛くない?」と聞いたことがある。でも、彼女は、「いいえ」。「楽しいの?」「はい、楽しいです」と答えてくれ、ほっとした。他の先生に聞いても同様の答えが返ってきた。これは、彼女には2Bの子を幸せにしたい、確実な夢があるから、志があるからではないだろうか。そう、夢を持とう、そして、その志は何かはっきりとしよう。

 私は君たちの頃、医者になるつもりだった、志は金をかせぐことだった。だからこの夢は簡単に瓦解した、白い巨塔を見て、医者はダメだと思った。今度は熱中時代を見て、先生になろうと思った。教育学部に入ったものの、これも志が低いから大学はほとんど行かない、さぼりっぱなし、やる気なく時間が過ぎてしまった。しかし、東雲小学校に赴任した5月、1年生の音楽の授業を見せていただいたときに鳥肌が立った。そして、夢?志??が定まった。こんな授業ができる教師になりたい、そして、授業中、子供の笑顔を満開にするんだ、という夢とも志ともわからないものを抱いた。それからというもの、夢を掲げ、志を確かめることで仕事が楽しくて楽しくてしょうがなかった。

4 ネズミは好きですか?好きな人いないよね!

 でも、ネズミに夢を求めた人物がいる。誰だか知っているか?ウォルトディズニーだ。その頃のアメリカには、大人だけの遊び場所しかなかったそうだが、親子で楽しめる場所を作りたい、人を幸せにしたい、そんな思いで取り組んだんだそうだ。

 7回倒産、約400回融資を断られた!でも、諦めなかった!ディズニーランドをつくりたい、それで家族を幸せにしたい。そんな夢や志を持っていたのだろう。

 夢があれば志が描きやすいんだ。内なる心に問うことができるんだ。理由は多ければ多いほどいい!志が大きければ大きいほど、多ければ多いほど、夢は現実になるのだ。だから、そのために今は知恵を磨こうよ!しっかりエネルギーをためようよ。

5 人間にとって命の次に大切なもの。それは。「自由」。「選択の自由」である。 

 人間にとって、命の次に大切なのは、自由である。その自由とは、選択の自由だ。皆さんには選択する自由があるのだ。だから、選択できる力を磨かなければならない。選択とは判断力のことだ。いろいろ考えてどうすればいいか、判断するだ。人生は、選択の連続だ。過去の選択が今の自分を築いている。もし今の自分に納得ができなければ、それは、過去の選択がうまくいっていない証拠だ。しかし、そんなものはどうでもいい。まだ、自分で選び始めたところだから、誤った選択もあるだろう。勝負はこれからだ。

 そのために大切なものは「夢×知恵×元気」だ。夢・目標に向かって、よりよい選択を積み重ねていく。そのために知恵を磨く。くじけそうになったら、なぜそれをしたいのか、自分に問う。必ずや元気が出てくるはずだ。

6 もう一つ、くじけそうになった時、重要な存在がある。

 それは、友だ。今年二つのクラスに分けたのは、競争力だけでなく、競合力を身に着けてほしかったからだ。つまり、競うだけでなく、合わせる力、コラボする力だ。これからの時代大切なのは、決してあきらめないこと。そして、友だちと共に力を合わせて知恵を絞り、問題を解決していくことだ。だから、クラス対抗で競うだけでなく、2つのクラスで考えたその力を結集し、大きなうねりにする。卒業した3年生に負けない、そんな久万中学校にしてほしいと思います。

 2年生のみんなの成長はすごい。すごい学年になった。勝負強い君たちがきっと卒業生を超えられる力を持っているし、超えてくれると思う。また、近頃の1年生の成長は著しい。とってもお兄さん、お姉さんになってくれた。新入生はきっと君たちを目標に頑張ることができるだろう。

7 まとめ

 今年の学校は、まとめの時期にきて、新型コロナウイルスの問題に大いに悩まされた。これは学力面での大ピンチである。でも、ピンチはチャンスでもある。チャンスに変えることができる。もし、皆さんが、この春休みに自主性を磨くことができたら、それは大チャンスに代わる。

 今回のことには、必ず意味がある。少なくとも意味をもたせるようにしなければならない。この経験は必ず皆さんの将来の糧となるはずだ。

 春休みには、まずは命を大切にしてほしい。次に、自主的に、しっかりと頭と心と体を磨き上げてほしい。そして、大きく成長した皆さんの姿を期待する。

 桜咲くこの校庭で、また会いましょう!!と思っていたのですが...。もっともっと伝えたいことがあったのですが、時間の都合で時間切れとなってしまいました。残念。

卒業生への最後のラブレター

2020年3月17日 14時19分

 本校では、生徒に対する評価の言葉を“生徒へのラブレター”だとして書くようお願いしています。これは、元文部科学省教科調査官の横山利弘先生にお教えいただいたことです。

 1、2学期は通信簿から文言評価欄を除外していましたが、3学期は文言評価の欄を担当者が入れておりました。ならば、教職員には精一杯心を込めて書くようお願いをいたしました。「自分が相手の中にあると思うものが、相手の心の中に育ってくる(ミハエル=ハミルトン)」からです。ただ、そんなお願いなどする必要もなく、すべての学級のすべての文言に、心からの愛が込められた文言だったと思います。

 そこで、私も、それらと同様、私の思いの丈をこの式辞にのせて、お話をさせていただきました。今回、教育委員会告示、町長式辞、来賓祝辞をいただかなかったので、いつもよりもじっくりとお話いたしました。的を射ていなかったり、感情が昂ぶり声に詰まったり、お聞き苦しい式辞をお付き合いさせてしまし申し訳ありません。

 今年の卒業式は、これまでの形式をやめ、対面式の卒業式といたしました。保護者の皆様に9か年の成長の跡を存分に見ていただこうと思ったからです。来年度のことは、生徒や保護者の皆様にご意見を伺いながら、決定いたします。

 今回の式辞では、私の最も好きな詩、「鳥は飛ばねばならぬ 人は生きねばならぬ」を引用させていただきました。これは、私が教頭として仕えた大好きだった校長先生が大切にしていた言葉でありました。

 では、今回はつたない文章ではありますが、式辞全文を掲載いたします。

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 開花宣言が聞かれる中、大川峰が季節外れの雪にまた白く覆われました。まるで降るときを知っているなごり雪かのように、皆さんとのお別れの朝を飾ってくれました。突然の休校から約2週間。本日ここに、令和元年度第21回久万中学校卒業式を挙行できますことに対して、これほど感謝したことはありません。その一方で、これが皆さんと過ごすことのできる最後の日になることが残念でなりません。

 卒業式開催に当たり、まずもって、保護者の皆様にお慶びとお詫び、お礼を申し述べたいと思います。本日はおめでとうございます。心よりお慶び申し上げます。ただ、お子様の晴れの日にもかかわらず、十分な準備ができておりませんことをお許しください。また、本校は若い教職員集団で、頼りにならず、至らぬことばかりであったことを重ねてお詫びいたします。それにもかかわらず、皆様は最後の最後まで学校を信頼し、教職員を支え続けてくださいました。このことに対し、深く感謝申し上げます。

 

 さて、卒業生の皆さん、ご卒業おめでとうございます。

 私と皆さんとは、たった一年のお付き合いでしたが、三十六年の教員生活の中でこれほどまでに純粋で、心の底から愛することができた生徒たちはいませんでした。校舎に向かう坂道を、希望と少しの不安を感じながら登ってきた私に対して、真心のこもった丁寧なあいさつで出迎えてくれた着任の日から本日まで、皆さんは、常に私を驚かせる存在でした。

 2学級編成に対する不安はさぞや大きかったことでしょうが、皆さんはいとも簡単にそれをはねのけてくれました。一人一人の思いの丈を語ってくれた校内弁論大会、全国学力テストでの驚くべき高得点、郡市・県・四国・全国中学校総体での躍進・躍動、二団で争った運動会での応援合戦や学年対抗ダンスバトル、伝統文化フェスタでの輝き等、今年初めての試みに対しても、久万高原を舞台に、皆さんは予想をはるかに超えたパフォーマンスで我々を魅了しました。そして、そんな皆さんの心身ともにたくましく成長していく姿に、私はいつもいつも大きな喜びと感動、そして感謝の念を抱いておりました。

そんな皆さんの門出に当たり、坂村真民の詩を贈りたいと思います。それは…。

 

「鳥は飛ばねばならぬ 人は生きねばならぬ 怒涛の海を飛びゆく鳥のように

 混沌の世を 生きねばならぬ」。厳しい言葉です。しかし、この詩はこう続きます。

「鳥は本能的に 暗黒を突破すれば 光明の島に着くことを知っている 

 そのように人も一寸先は闇ではなく 光であることを知らねばならぬ

 (略) 鳥は飛ばねばならぬ 人は生きねばならぬ」と。

  新型コロナウイルス感染症の問題は、これから来(きた)る未来を暗示しているかのようです。これから、誰にも予想できない激動の十年が始まります。AIをはじめとする科学の急激な発展、気候変動・自然環境の悪化、南海トラフ巨大地震の確率の高まり等、枚挙にいとまがありません。必要とされる力は確実に変化しており、今まで通用していたものが通用しない時代を迎えるのです。 

 しかしこれを、ピンチではなく、チャンスだととらえるのです。なぜならば、あなた方がこれまでしっかりと培ってきた「決してあきらめないでやり抜く力」「我慢する心・自制心」「協調性・共同性」「対話力・人間関係力」「気付き考え行動する力」等が武器となり、必ずやあなた方を光明の島へと運んでくれると思うのです。

 そして、暗黒を突破する鍵は、人生を雄々しく生きていくための合言葉「夢」×「知恵」×「元気」、つまり、ゴールを定め、学びによって道筋を思考するための知恵を磨き、元気に躍動する生き方を実行することだと思うのです。この「夢・知恵・元気」の内、現在の皆さんにとって最も大切なのが、夢実現の原動力となる「元気」、つまり、「志」、何のためにこの夢を抱くのか、その根拠や思いを自分自身に問い続けることだと考えています。

 自分の夢を信じて実行する人生には、つまずきや遠回りがつきものです。ですから、まずは志を明確にして、焦らず、弛まず、油断せず、真理に向かってゆっくりと、でも着実に自分の人生を歩んでください。

 「皆さんには選択の自由がある。人生は選択の連続だ。今の自分はこれまでの選択によってつくられたものだ。ならば、あなたの選択であなたの未来を作り出すこともできるのだ。理想の自分を作り上げることができるのだ。人は、今、この瞬間に自分を変えることができる。三年あれば人は劇変する。これまでの人生なんて始まりにすぎない。さあ、これから120年の人生の幕開けだ。今の差なんて差ではない。諸君、人生の主人公になるのだ!」

  皆さんはきっと近い将来、日本の各地で、あるいは世界のいたるところで大活躍することになるでしょう。その時、いつも心の片隅に置いて、忘れないでほしいのが、久万中生であったという誇りと感謝の心です。皆さんには、共に学んだ仲間の励ましがあったのです。家族や地域の方々の深い愛情があったのです。教職員の熱い指導があったのです。そのことを決して忘れてはなりません。そして、皆さんを、優しく、強く、包み込んでくれたあなた方の原点である、この久万高原の地があったことを決して忘れてはならないのです。鴻鵠*の志を胸に天空を羽ばたき、いつの日か、この地の「誰か」に、この地の「何か」に貢献できることを見つけだしてほしいと願っています。

 皆さん。よくぞここまで、素直で快活に、育ってくれました。未来を担う皆さんは、家族や地域の宝であるだけでなく、私たちの宝物です。そう感じさせてくださった皆さんに心からお礼を言いたいと思います。皆さん、本当にありがとう。

※ 今回は来賓等からの祝辞がありません。校長式辞だけでは忍びないので、前の日に思い付き小学校卒業式答辞のように、教職員全員に一人一言の声掛けしてもらいました。その内容は…。


 頑張れ!(小田)、無理は可能!(井上)、全力で楽しめ!(赤坂)、

自分に誇りをもって!(安部)、あなたたちならきっと大丈夫!(溝田)、

前進あるのみ!(関谷)、いつも笑顔で!(高智)、

明るく!笑顔で!元気で!頑張れ!誰よりも!幸せであれ!Good Luck!

(大野)、(日野)、(佐々木)、(佐藤)、(松崎)、(池田)、(リチャード)

大好きです!(渡部)、命を大切に!(村田)、感謝の気持ちを大切に!(吉田)、

君たちならできる!(折本)、いつでも一生懸命!(菅)、家庭を大切に!(村上)、

人生は挑戦の連続だ!(折本)、振り返らずに進め!(吉田)、

でも、傷ついた時にはいつでも帰っておいで!(村田)、

私たちはいつまでもみんなの味方です!(大野)、

私たちはいつでもみんなの一番の応援団です!!(菅)

 

 では、卒業生40名の新たな挑戦が、幸多きものになりますことを祈念して、式辞といたします。

 令和二年三月十七日

                       久万高原町立久万中学校長 小田 哲志 

  

* 鴻鵠(こうこく)。《「鴻」「鵠」、ともに大きな鳥》大人物のたとえ。

この臨時休業を生かして、主体性を磨こう!

2020年3月2日 10時53分

 

 本日より、全国の多くの学校では臨時休業が開始されました。本町では、28日の全校集会で、9日からの臨時休業についてお知らせをしておりました。あと1週間猶予をもらうことができ、本校では毎日5教科中心の時間割に変更し、何とか教科書を終えることとしておりました。ところが、高知県で新型コロナウイルスへの感染が確認され、隣接する久万高原も他人事ではないということで明後日の4日から臨時休業になりました。(何と、これを書き終えた頃、町の対策会議での決定事項だという連絡が飛び込んできました。その連絡とは、明日3日からの臨時休業というものでした。)

 先日はあと少し、皆さんと共に学ぶことができる、多少だが、お別れの時間を長く持つことができるということでホッとしておりました。が、明日が最終日ということが残念であり、寂しい限りであります(実際には、今日が最終日となり、愛媛県で最後の臨時休業開始から、急転直下、最短期間での突入となりました…。)しかし、これは日本全国の同程度の取り決めであり、積極的に協力する必要があり、どうしても新型コロナウイルス撲滅をやりきらねばならないことだと感じています。

(1)久万中生としての品格

 このような折にどう振る舞うのか、日本人として、また久万中生としての品格が試される、真価が問われる局面となりました。

 今朝(3月2日)の集会で、「ここはぜひ久万中生としての心意気を見せようではないか!皆さんが真の主体性を身につける絶好の機会であり、ピンチをチャンスにできる『21年目、”最後”の挑戦』と位置付け全力で取り組もう。今年度の登校日は、明日(実際には今日のみ)と17日のみ(離任式の実施は未定)となった。17日の卒業式、終業式は予定通り行いたいと考えているが、不透明で予断を許さない状況である。

 このような中、これからしばらくの間、皆さん一人一人の主体性が試されることとなる。これまで何かある度に、皆さんの周りには信頼する仲間がいるから、その仲間を信じてチーム戦で難局を乗り切ろうと呼び掛けてきたが、今回の場合、仲間と共にということを極力避けなければならない状況である。しかし、皆さん一人一人がそれぞれの場所でしっかりと戦っていることを信じて頑張ってほしい。」と述べました。そして、「ぜひこの場所で、必ずもう一度みんなでこうして会おう。」とも呼びかけました。

 休業中、学習はもちろん大切ですが、これまで教員や友との語らいで保たれてきた心、体育や部活動で教員鍛えられた体をどう維持向上させるかとても重要です。ご家庭では、知徳体バランスの取れた取組を各人ができるよう、そして、主体性をものにできるよう、保護者の皆様、どうぞよろしくお願いいたします。

(2)家庭訪問にて、学習支援、生活支援を行う予定です。

 さて、休業となる4日から、本校では教員総出で、希望する家庭には家庭訪問を実施する予定です。生徒数が130名ですので、2人1組で毎日1回以上、各家庭を訪問する予定ですが、毎日行くことができない場合には、お許しください。 

 家庭訪問では、生活支援、学習支援を行う予定です。学校が休業となり、もしかしたらインプットの時間が減少することを恐れるのではないかと考えますが、むしろアウトプットの時間が少なくなることを心配しています。そこで、家庭訪問では、書き物を確認したり、話をしてもらったり、生徒のアウトプットの場を保障したいと考えています。

 学級担任にこだわらず、5教科とその他の担当者が1組となり巡回する予定です。

(3)修学旅行等について

 修学旅行についてご心配の声が聞かれましたが、ごもっともです。今後、特効薬の開発や収束があり、生徒・保護者の皆様の不安が払拭できれば、4月25日に予定通り、実施したいと考えております。松山市の学校は学年の人数が多く、今から9月宿泊先等が争奪戦の状態でした。本校は、9月代替の宿泊先を確保した上で推移を見守っている状況ですのでご安心ください。自然の家宿泊発動も、このぶんだと延期かもしれませんね。

(4)命について考える

 新型コロナウイルス感染症により、多くの方々の命が失われていることに誰もが心を痛められていると存じます。亡くなられたか皆様に対し、哀悼の意を表すとともに、関係者各位には心よりお悔やみ申し上げます。

 さて、我々教職員の課題は、子どもたちに命の大切さをどう伝えるかという点です。これはこれまでにも触れた内容かもしれませんが、どんなに命の有限性、連続性、神秘性を伝えても、今を苦しむ子供たちの心には響かないことが多く、無力感を感じているところです。教職員が、どう伝えれば子どもたちが、いくら苦しくてもつらくても前を向いて生き抜いてくれるのか、本校では教職員全員で意見交流を深めています。しかし、残念ながら「これだ!」というものには未だ出会えていません。

 でも、ナチスの強制収容所経験を記した「夜と霧」の作者で、心理療法家のビクトール・フランクルの言葉が何か指導に生かせないかと私は考えています。

 フランクルは言います。『どんなときにも、人生には意味がある。なすべきこと、満たすべき意味が与えられている。この世界のどこかに、あなたを必要とする「何か」がある。この世界のどこかに、あなたを必要とする「誰か」がいる。そしてその「何か」や「誰か」は、あなたに発見されるのを「待って」いる。「何か」があなたを待っている。「誰か」があなたを待っている。私たちは、常にこの「何か」や「誰か」によって「必要され待たれている」存在なのだ。だから、たとえ今がどんなに苦しくても、あなたはすべてを投げ出す必要はない。あなたがすべてを投げ出しさえしなければ、いつの日か、人生は「イエス」を言うことのできる日が必ずやってくるから。いや、たとえあなたが人生に「イエス」と言えなくても、人生の方からあなたに「イエス」と一刈を差し込んでくる日が、いつか必ずやってくるから。』と。だから、たとえ今がどんなに苦しくとも、生徒には「今、ここ」に意味があるということをわかってほしいと思っています。この言葉、いかがでしょうか?

 もう一つ、本校では道徳教育を重視していますが、「善悪」で命の大切さについて説明し、子どもたちが納得できないかという方法も考えていますが、それは次回に。突然の学期末を迎えましたが、これにもきっと意味があるということを信じてやみません。

 保護者の皆様、生徒諸君、3月末まで引き続きよろしくお願いいたします。

 

「志の道」を歩いてみませんか?

2020年2月13日 11時40分

 四国中央市新宮町に「志の道」があります。道の駅の駐車場から新瀬川を上流に向かって1.5㎞程度の道のりでしょうか?この道沿いには、12碑+αの志を持って人生を駆け抜けた先哲の言葉が記されています。駐車場入り口には、元文科大臣 有馬朗人(あきと)先生の文字でしっかりとした文字で「志の道」と刻まれています。そこから少し進むと松下幸之助さんの詩「道」が現れますが、それが第1碑です。

 これらの碑が設置されたのは、2001(平成13)年の11月だそうです。元文科副大臣で元衆議院議員の小野晋也先生と地元有志の皆様の尽力で石碑を並べ「志の道」と命名したそうで、平成16年には、「美しい日本の歩きたくなるみち500選」にも選ばれています。いずれの碑も、日本が誇る先達のお言葉ですから、魂からほとばしる力強さがあり、体の底から力が湧いてくる、そんな心持ちになります。「美しい自然」「豊かな人柄」「勇気を与える言葉」をテーマに、現代人が忘れかけている大切なものを思い起こす場所にしたいという祈りを織り込んだそうです。一度ぜひ歩いてみてください。もし必要であれば、私が小野先生にガイドをお願いしたり、つたない解説でよければ私がご案内したりいたしますので、遠慮せずお声掛けください。

1 若くして学べば・・・

 さて、私が一番強くひかれたのは、第8碑「少(わか)くして学べば壮にして成すあり 壮にして学べば老いて衰えず 老いて学べば死して朽ちず(佐藤一斎)」の言葉です。これは、江戸時代昌平坂学問所の学頭で朱子学者(裏では実は陽明学者)の佐藤一斎「言志四録」からの引用です。子曰わく、四十にして惑わずのはずなのに、40代前半に日々事務作業や仲裁・交渉に明け暮れて、テクニカルな部分ばかりを伸長している気分に陥り成長のなさに戸惑いを感じていた頃がありました。そこで勉強不足を解消しようとあれこれ手を出していましたが、ある雑誌で小野先生の「人間学」へと誘う文書が目につきます。このとき掲載されていたのがこの言葉でした。今は焦らず老後衰えないよう自分なりに頑張ればいいのかと気づいた言葉でした。現代の子ども達はその多くがおそらく人生120歳超の時代を生きることになります。勉強するのに遅いということはない。今や18年や22年のみ蓄積で生き抜けるはずがありません。若い頃には若い頃の勉強が、壮年期には壮年の、いつの時代にも必要な学びが待ち受けているのです。

 こんな言葉が厳選されている「志の道」を一度歩いてみませんか?

2 坂村真民「自分の花を咲かせよう」

 坂村真民といえば、「念ずれば花開く」で有名な愛媛が誇る詩人です。といっても、生まれは熊本。よくぞ愛媛の地を終焉の場所としてくださったものだと感謝しきりです。真民詩には、愛と真理がちりばめられていると心底感じます。今、世にある多くの言葉に真民詩を参考にしたものがあまたある、そんな気がします。ちなみに、この「念ずれば」の碑は公認されているだけでも全国に620基、海外20基を超えるそうです。この言葉は、真民さんのお母さんがよく口にされていた言葉で、その出典は不明、おそらく今もわからず坂村真民記念館の西澤館長さんも探し続けているやにお聞きしました。

 第4碑は、これではなく、「自分の花を咲かせよう」が選ばれています。

 第1碑~3碑で、松下幸之介、吉田松陰、勝海舟の言葉を引用して、「人生は天与の尊い道だ。与えられたものではあるが、その人生は自分のものであるから志を立てたならば、信じた道を迷わず進め。しかし、人生にはいい時もあれば、悪い時もある。しかし、ピンチはむしろチャンスだ。」ということを示唆しているのでしょう。説明が陳腐ですが…。そして、第4碑、人間として目指すべき道は「自分の花を咲かせることに他ならない」と続くのです。設置者の意図と少し違うかもしれませんが、そんなことをいっているのではないでしょうか。

3 ちなみに、第2碑、第3碑の説明を少し!

 吉田松陰がペリー船に乗り込もうとした罪で野山獄に幽閉された折に、松陰は囚人たちに孟子の言葉を講義していたそうですが、それらの言葉を「講孟夜話」にまとめています。第2碑には、その中か選んだ「自ら省みて直くんば千万人と雖(いえど)も吾往(われい)かん」が現代訳で書かれています。つまり、自分が信じた道は、たとえ一人であって突き進むという松陰の決意の表れがあるのです。小野先生は、これが志の定義だと説明されました。

 第3碑は、勝海舟の言葉です。勝は、中学校社会科では、咸臨丸で渡米した江戸幕末の幕府要人で幕府の海軍に尽力したと習いました。様々な歴史小説等でも、進歩的な考え方の持ち主として描かれたおり、実際、幕府代表者として西郷隆盛との会談で、江戸を戦火から守り無血開城を実現した立役者として知られています。この裏には、西郷隆盛との会談にこぎつけた山岡鉄舟の我を省みない働きが見逃せないようです。

 この勝海舟の言葉、「事の成るは艱苦(かんく)の時に在り 人の敗るるは多く得意の時に在り」です。成功は、艱難辛苦の先にあり、人が失敗するのは、手慣れて得意としていることを行っている時だというのです。この碑文を見た時、吉田兼好の「功名の木登り(徒然草)」にある「過ちすな、心して降りよ」という言葉を思い出しました。なぜそういったのか問われた木登り名人は、「そのことに候ふ。目くるめき、枝危ふきほどは、己が恐れ侍れば申さず。過ちは、やすきところになりて、必ずつかまつることに候ふ」といいます。これに対して、「聖人の戒めにかかなへり」と書いていますが、「君子、安けれども危うきを忘れず、存すれども亡を忘れず、治まれども乱を忘れず」という「易経」由来説が有力(?)だそうです。今の言葉で簡単にいえば、「チャンスはピンチ、ピンチはチャンス」でしょうか。

 人生を歩む際、志を貫く折の調子に乗ってしまいがちな自己を戒めたり、不安な心に負けずに最後まで貫いていけたりするように励ましの言葉として、小野先生はこれを選ばれたのでしょう!

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 当初、今回の話は、坂村真民詩を紹介するための引用だったのですが、例に漏れず、よそ道にそれてしまいました。この「志の道」についてももっと解説が必要となりました。次回こそ、ご紹介したい真民詩について、述べたいと思います。

安得類古人 千載列青史(頼山陽)~少年の日に寄せて~

2020年1月29日 12時36分

 少年式を迎えた皆さん、おめでとうございます。保護者の皆様も節目の日を迎え、感慨をひとしおのこととお慶び申し上げます。

 前日からの雨が上がり、松山方面からトンネルを過ぎ明神、久万の里は、ゆっくりとたなびく雲のような霧が穏やかで柔らかくしなやか、でもピーンと緊張感が漂う、そんな風景でした。

 そこで、式辞に急きょ、「夜来の前もあがり、久万高原に静寂の朝が訪れました」と読み上げたのですが、とたんに雷鳴が響くという恥ずかしい思いをいたしました。ともあれ、無事終了いたしました。2年生の集団の力は、この上なく大いに成長を感じさせる式典でした。また、1年生の式典の準備、臨む態度が抜群で、今後の活躍を期待させるとてもいい式典だったと思います。

 式典の最後に、「ちょっと待った」という生徒の言葉で予定していない、教員への感謝状?が手渡される一幕もありました。生徒が自ら考え行動してくれた気持ちは大事にしたいと思いますが、今後式典で行うことは控えたいと思います。

 今回の式辞では、主に2つのことを述べさせていただきました。

1)志を抱くこと。「元気」の重要性

以下の江戸時代の思想家・文人である頼山陽(1781-1832)の漢詩です。

 

「述懐」(じゅつかい)(「立志之詩」と書いている記述もあり)

十有三春秋(じゅうゆうさんしゅんじゅう)

逝者已如水(ゆくものはすでにみずのごとし)

天地無始終(てんちしじゅうなく)

人生有生死(じんせいせいしあり)

安得類古人(いずくにかこじんにるいして)

千載列青史(せんざいせいしにれっするをえん)

訳:自分が生まれてから、すでに十三回の春と秋を過ごしてきた。水の流れと同様、時の流れは元へは戻らない。天地には始めも終わりもないが、人間は生まれたら必ず死ぬ時が来る。なんとしてでも昔の偉人のように、千年後の歴史に名をつらねたいものだ。

引用:令和2年1月22日検索http://e2jin.cocolog-nifty.com/blog/2013/10/post-1b61.html

 

 この詩を読んで、国民教育の師父と呼ばれた 森信三氏は、同じ14歳の年に祖父から頼山陽のこの詩を教えられ、彼の境涯に至ったいなかったことに対する口惜しさをいつまでも忘れていません。それは、おそらく、「天地終始なく、人生生死あり」と14歳の少年が天地自然の理を簡略に表現している部分だったようです。その後、森は、「人生二度なし」という哲理を原点に自身の教育道を貫きます。

 内村鑑三(1925)「後世への最大遺物」にも頼山陽の引用をしている部分がありますが、内村同様、多くの先達がこの詩に、励まされ、または打ちのめされ、立ち上がってきたものと思われます。内村が注目しているのは、「いずくにか個人に類し、千載青史列するを得ん(なんとしてでも昔の偉人のように、千年後の歴史に名をつらねたいものだ。)」の部分です。つまり、14歳の少年がこれほど大きな志を立てているところです。

 本校では、「夢」「知恵」「元気」を持つことが人生を豊かにすることだとして、自分の人生の主人公として歩んでいける生徒を育てようとしています。「夢」というと、人生の最終ゴールのように感じるかもしれませんが、そうではなくて、本校では目標を夢だと説いています。したがって、1つの大きな夢よりも、今は1,000の小さな夢の持ちそれを達成することを重視しています。これは、既に大いなる夢を持っている中学生がいるならばそれを否定するものではありません。しかしながら、少年時代に思い描いた夢をいつまでも追い求めることができず、達成できないことが多くみられます。また、学びの途上にある生徒が大きな夢を描くことは困難であろうと思うのです。そこで、、本校ではその夢が見つかったとき、「それはどうして」と問うことでその志は何かを考えるようにしています。それを、「元気」と呼んでいます。言い換えれば、動機、理由、根拠、志の部分です。

 今何になりたいのかわからない、つまり、「夢」が定まらず不安を感じている人がいるかもしれません。そんなとき大切なのは、頼山陽な山陽のような「なんとしてでも昔の偉人のように、千年後の歴史に名をつらねたい」というような大きな志を持つことが大切だと考えます。人の役立つ生き方をしたいとか、全世界を駆け巡って生きていきたいとか、自然環境、動植物の命を守りたいとか、それが、「元気」です。人生における志、それを私は「元気」と表現していますが、それぞれの「元気」の火を大きく燃え上がらせる時が今訪れているのです。「元気」が大きければ大きいほど、多ければ多いほど、強ければ強いほど、大いなる人生を歩むことができるのです。

2 志(元気)の条件

 ただし、「元気」には一つ条件があります。それは、それが正しいものかどうかということです。そのためにしなければならないことは、正しいか誤っているかを見極める目、正しい判断ができる力を持つことが大切です。

 正しい目、判断力を磨くために今すべきことは何か、それは、万物の真理、物事の通りを学ぶこと、つまり、学校で今学習している各教科の内容をです。したがって、今すべきこと、これは学校での学びをとことん追究することです。正しい目、判断力を磨く方法は、もう一つあります。それは、先達のいうことを守るということです。つまり、保護者の皆様、地域の皆様、学校の教職員もその一人です。生徒を愛し、育んでくださるすべての方々の教え、考えに耳を傾けることではないでしょうか。

3 人生の主人公は自分自身

 「道」                松下幸之助

自分には 自分に与えられた道がある。

天与の尊い道がある。どんな道かは知らないが、他の人には歩めない。

自分だけしか歩めない、二度と歩めぬかけがえのないこの道。

広いときもある。狭いときもある。

のぼりもあれば、くだりもある。

坦々としたときもあれば、かきわけかきわけ汗するときもある。

この道が果たしてよいのか悪いのか、思案にあまるときもあろう。

なぐさめを求めたくなるときもあろう。

しかし、所詮はこの道しかないのではないか。

あきらめろと言うのではない。

いま立っているこの道、いま歩んでいるこの道、とにかくこの道を休まず歩むことである。

自分だけしか歩めない大事な道ではないか。

自分だけに与えられているかけがえのないこの道ではないか。

他人の道に心を奪われ、思案にくれて立ちすくんでいても、道は少しもひらけない。

道をひらくためには、まず歩まねばならぬ。

心を定め、懸命に歩まねばならぬ。

それがたとえ遠い道のように思えても、休まず歩む姿からは必ず新たな道がひらけてくる。

深い喜びも生まれてくる。

引用:松下幸之助(1991)「道をひらく」

 

 この詩は、パナソニックの創業者 松下幸之助さんの詩です。生徒には、それぞれ天分を生かしたその生徒だけにしか歩めない唯一無二の大いなる人生が待っています。そのために、今は蓄える時、学ぶ時に他ならないと思うのです。

 

生徒の皆さん、保護者の皆様。

 あと一年、私たち教職員にそのお手伝いをさせてください。そのためならば、我々はどんな苦労も、我が喜びとして、尽くす覚悟を持っています。なぜならば、それこそが、我々が若かりし頃に打ち立てた人生を貫く志、野望なのです。

 生徒の大いなる成長と今後の活躍を心より楽しみにしております。

 長々と申し訳ございません。

 

今学期のテーマは、「格好いい行動をしよう、格好いい人生を送ろう」です。

2020年1月21日 13時52分

「夢・知恵・元気」の考え方の浸透について継続指導を。

今学期のテーマは、「格好いい行動をしよう、格好いい人生を送ろう」です。

そのためにまず教師が「格好いい」大人の範を示す!!

 

 新年にあたり、生徒には今学期の目標を、先生方には学校経営方針をお伝えいたしました。

 今学期のテーマは、一人一人が「格好いい生き方」ができるようになるです。

(1)自分にとって険しい道、難しい道を選ぶということ。

 おそらく、格好のいい生き方は一見困難な道だと思います。東大の元総長であった河合栄治郎氏の言葉であったと記憶しておりますが、「あなたたちの人生はこれからいくつもの分岐点がある。その分かれ道で右側と左側、どちらに行ったらいいか迷ったときには、険しいと思う道を選びなさい。」と言われたそうです。おいしそうな道は何か落とし穴があるものです。厳しい道はピンチの連続かもしれません。しかし、ピンチの後は必ずチャンスなのです。ピンチの陰にチャンスが潜んでいます。厳しい道のりを行くには覚悟がいります。覚悟を持ってあえて険しい道を邁進しようということです。

(2)自分らしく生きる。

 生徒は、人の期待に応えるために生きているのではないという自覚をもつこと、冷たい言い方をすれば、自分は自分、人は人という考え方も必要だということです。つまり、自分は人にほめてほしいから行動しているのではない、自分自身が満足したい、納得したいから何かを行動を行うのだと自覚することです。もちろん、承認欲求は誰にでもあり、行動の原動力になることは事実です。しかし、相手の感情等、自分でコントロールできないことに不安を感じたり、要らぬ妄想したりすることはやめるべきです。人の目ばかり気にする生き方は、全く格好よくありません。

(3)利他に生きる、人のために生きる。

 これも格好いい生き方の1つです。ラグビーのタックルはとっても痛く怖いプレイですが、人を生かすために身を挺して相手に飛び込んでいくのだそうです。桜ジャパンがなぜ日本人の心をとらえたか、それは、人のために奉仕する生き方もきっと格好いい生き方だと感じたからだと思います。

 利他に生きるといっても取り立ててむずかしいことをせよと要求しているのではありません。日々の清掃時間にまじめに取り組んだり、先生や友達に先に元気よく挨拶したり、いつも笑顔であったり、やさしく温かい言葉掛けや前向きな言葉を発したり、自分が正しいと思う当たり前のことを当たり前に行う、それだけでいいのです。いや、日々それを続けることが立派な奉仕だと思います。

 以前に「七施」でお願いした通りです。温かな心から現れる他人への施しをコツコツと積み重ねていくことが大切です。

 

 あっという間の3学期です。

 しかし、個人の力を伸ばす大切な3学期です。生徒の更なる飛躍を祈っています。

 先生方への学校経営方針は省略します。

今年もお世話になりました。来年もよろしくお願いいたします。

2020年1月1日 00時46分

 令和元年大晦日の夜を迎えました。テレビからは紅白歌合戦の音楽が流れています。皆様にとって、今年はどんな1年でしたか?思い立ったが吉日、思いつけば即実行を旨としてきた者としては、悔いの残る部分が多くあり、申し訳ないと思うことが少なからずあった1年でした。しかしながら、様々な場面で皆様のご理解、ご協力を得ることができ、光栄でありがたい1年でもありました。心より感謝申し上げます。

 多くの取組を行いましたが、どれほどの成果が得られただろうと今、振り返っています。来年は、ポイント絞り、ねらいを明確にした上で実行し、それを検証し修正しながらさらに実践していきます。そして、生徒はもちろん、教職員、保護者の皆様、久万中学校に関わってくださった皆様全員に、(学校に、また校長に、そこまでの力がないことは重々承知しておりますが、今日は大風呂敷を広げてみたいと思います…)何かしら目に見える成果が得られますようしたいと思っています。そのために、まず自分自身を高めていくことから始めたいと思っています。来年もよろしくお願いいたします。

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 さて、令和元年最後の日に、年を越えないよう以前に先延ばししていたブータンの幸福感についてお伝えしたいと思います。これは、道徳ジャーナル99号(学研教育みらい)掲載の山元加津子さんの「21世紀心の時代に」を参考にして論じたものです。

1 本校の幸せの求め方

 ここでは、筆者である山元氏の友人がブータンのある学校の教育目標を見て、驚きを禁じ得なかったという内容が述べられています。それは後に述べるとして、まず、本校の学校教育目標を説明しておきます。本校のそれは「夢×知恵×元気 (略)の育成」で、夢・知恵・元気を意識した生き方を行うことで、より主体的に生きることを大切にしているのです。もしかしたら、かつて生きることは当たり前という考えが希薄になり、最近特に、生きる意味について思い悩む生徒が極めて多く、このことについて真剣に伝えて納得してもらわなければならないと感じています。この「生きる意味」を生徒にどう伝えるかについては、早急に教職員全員で議論を重ねていきたいと思います。

 ただ、この解にはなりませんが、「夢・知恵・元気」で、生きる道標を持つ生き方は、この問題の解決に有効な考え方、解決の一助になると考えています。つまり、自分自身が夢を持ち、「やればできる、きっとできる、必ずできる」と信じて主体的に生きれば、生きることに疑問を感じることなく、たとえ感じたとしてもそれを乗り越えて、きっとたくましく生き抜くことができると考えたからです。

 世界三大幸福論と言われる、アランことエミール=オーギュスト・シャルティエ(フランス)の幸福論は、1925年に書かれました。その中では様々な角度から幸福について論じられていますが、その1つに「人は幸福になる義務がある」と述べています。最近、生徒に「なぜ、人は生きるのか」ということをどう伝えたらいいのかを考えた時に、「それは、人には幸福に生きる義務があるから」と小さいころから教え込む必要があるのではないかと考えるようになっています。

2 ブータンの子どもの夢、幸せ

 またまた、脱線してしまいましたが、話を元に戻します。ブータンの学校の教育目標のお話です。それは、「人の幸せを願える人を育てる」というもので確かにこれは驚きました。そして、友人は子どもたちに尋ねたそうです、「夢は何ですか」と。これに少年はこう答えます。「医者になりたい。苦しんでいる人を助けたいから」。次の少女は、「先生になりたい、子どもをしたいから」。その次の少年は、「サッカー選手」。「やっと出た、子どもらしい夢」と思ったのもつかの間、その理由は、「人に夢を与えたいから」だったそうです。ブータンの国民全員が、世界中の人々の幸せを祈っているのだそうです。大人も子どもも、その考えが染みこんでいるのだそうです。

3 自分のために生きることは間違い?

 自分のことを一番に考えることは間違っていません。自分以上に人は大切にできないからです。余談になりますが、先日、本校で開催した英語セミナーに県内の英語教育の第一人者である校長先生が訪問してくれましたが、「英語をうまくなりたかったら、日本語を磨くこと。第二言語は母国語以上には決してならないから」とおっしゃっていましたが、その考え方と同じですね。

 いじめについても聞いてみたそうです。不思議そうに「いじめってどんなこと?」と答えたそうです。「一人だけをのけ者にしたり、物を隠したり、ひどいことをみんなでいったりすること」と伝えると、「そんなことをしたら、自分をすきになれないでしょう?好きになれなかったら、誰のことも好きになれない。自分も幸せにできない。」と答えたのだそうです。

 この他にも、驚きは続きます。ブータンの人々は毎日、次のことを祈ります。一番目に今日亡くなった世界中の人のために、二番目に生きている世界のみんなの幸せのために、三番目に自分の国のこと、国民のことを。「なぜ自分のことを祈らないのですか」と聞いたら、「自分はみんなが幸せならば、それで幸せだから」だそうです。

 とことん、利他に生きること、これが彼らの幸せのようです。自分のために生きることが間違いとは思いません。だけど、今誰も彼もが自分、自分、自分ではないでしょうか?国民幸福度指数が低いとされたブータンですが、我々と考え方が全く違うこの国の方々の幸福度には、どうあがいてもかなわないようです。でも、勝つ必要もありません。ただし、我が国なりの幸福、幸福感とはどういうものなのか考えてみることは大切なことではないでしょうか?大人も子どもも承認欲求を満たすことに明け暮れている今、深く考えさせられたお話でした。

 自分の人生です。自分のために生きる人生は正しいことです。しかし、自分のためだけに生きる、我欲に生きる人生はいかがなものでしょうか?自他、自助・共助等、当たり前に使ってきたこの言葉の意味を、生徒に共にもう一度かみしめてみたい、そんなことを気付かせてくれました。そうこうしているうちに、紅白歌合戦が終わりました。皆様方のご健康、ご多幸を心よりお祈りし、併せて自分の幸せを祈りつつ、筆を置きたいと思います。来年もよい年でありますように!!といいつつ、年内の投稿が間に合いませんでした。

 ふと「星の王子様」を思い出しました。これを使って、全校道徳がしてみたいと思いました。

 

幸福って何だろう!その1

2019年12月11日 16時38分

 昨日から、個別懇談会が始まりました。学級担任の先生方には、20分間、具体的事例を基に95%の時間を「ダメだし」ではなく、「いいとこだし」となぜそれがいいことか意義付け、意味付けをほしい、そのうえで残りの5%についてお願い事項や課題を伝えてほしいとお願いしました。この懇談を機に、子どもたちのやる気の芽が膨らみ、さらに大きく成長してほしいと願っています。

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 さて、世界幸福度ランキングというものがあります。調査対象全156か国でのランキングを表したものです。国民総生産(GNP)ではなく国民総幸福量(GNH)が大切だとするブータン政府が提唱して、2012年に始められたものだそうです。2019年のランキングは、1位からフィンランド、デンマーク、ノルウェー、アイスランドと続きます。イギリスは15位、ドイツは17位、アメリカが19位で、わが国日本の順位は58位で、幸せの国といわれているブータンは95位なんだそうです。その基準となる指標は、「人口当たりのGNP 」「社会的支援」「健康な平均寿命」「人生を選択する自由」「性の平等性」「社会の腐敗度」で、これをポイント化して順位を出しています。これらの指標は随分欧米的な価値観に基づくもののような気がしますが、本当にこれで幸福を図れるものか疑わしい限りです。

 

 そもそも幸福って何でしょうか?前野隆司氏(2013)の著書「幸福メカニズム」を参考に述べてみます。トルストイが「幸福な家庭は皆に通っているが、不幸な家庭は不幸の相も様々である」と述べるように、幸福な家庭を想像すると、おそらくみんな同じようなイメージが思い浮かぶと思いますが、不幸は「悲しみ、苦しみ、怒り、嫉妬、憎しみ、あきらめ」といろいろあるものです。かといって、幸福の形は一つかといわれると多様であるようにも思います。前野氏は「幸せの統合的イメージを明確な形で共有していないから争ったり、ねたんだり、憎んだり、悲しんだりを繰り返している」と述べていますが、確かに一理あるなと感じました。

 幸福には、客観的なものと主観的なものが存在します。先ほど述べた幸福度ランキングでは日本やブータンは上位ではないけれど、日本人やブータン人はその順位に納得はできないだろうと思います。それは、幸福感というものは、主観的なもので自分自身が感じるものであると思うからです。幸福とは他から与えられるものではなく、自分自身が努力して手に入れたときに感じるものだと思うからです。やはり、幸せの要因はトルストイがいうように単純ではなく、幸福は人それぞれの捉え方であり、幸せの種は随所に蒔かれていると考えるのが自然だと思います。自分自身の感じ方次第で幸福にも、不幸にもなるということなのでしょう。前野氏は「人は金銭欲、物欲、名誉欲などに目がくらみ、目指すべき方向を間違ってしまいがちな生き物である」と述べていますが、その通りだと思います。ある調査で「もっとお金がった方が幸せだったと思う」という調査項目に対して、日本人の65%がyesと答えたそうです。ちなみにロシア人、中国人は70%であるのに対して、イギリス人21%、アメリカ人16%だそうで、日本人は物質的な幸せを求める傾向にあるそうです。道を外さないようにしないといけませんね。

 

 前野氏が述べる学術的内容を紹介しておきます。幸福に影響する要因はたくさんあることは間違いないのですが、外的、ないしは身体的要因ではなく、内的要因にはどのようなものがあるのでしょうか?前野氏らが行った研究によると、幸せに関連の深い心的因子は次の通りだそうです。

 

① 第1因子「やってみよう!」因子

 〇コンピテンス(私は有能である)

 〇社会の要請(私は社会の要請に答えている)

 〇個人的成長(私のこれまでの人生は、変化、学習、成長に満ちていた)

 〇自己実現(鋳物自分は本当になりたかった自分である)

 

② 第2因子「ありがとう!」因子

 〇人を喜ばせる(人の喜ぶ顔が見たい)

 〇愛情(私を大切に思ってくれる人たちがいる)

 〇感謝(私は、人生において感謝することがたくさんある)

 〇親切(私は日々の生活において、他社に親切にし手助けをしたいと思っている)

 

③ 第3因子「何とかなる!」因子

 〇楽観性(私は物事が思い通りにいくと思う)

 〇気持ちの切り替え(私は学校や仕事での失敗や不安な感情をあまり引きずらない)

 〇積極的な他者関係(私は他者との近しい関係を維持することができる)

 〇自己受容(自分は人生の中で多くのことを達成してきた)

 

④ 第4因子「あなたらしく!」因子

 〇社会的比較志向のなさ(私は自分のすることと他者がすることをあまり比較しない)

 〇制約の知覚のなさ(私に何ができて何ができないかは学部の制約ではない)

 〇自己概念の明確傾向(自分自身の信念についてはあまり変化しない)

 〇最大効果の追求(テレビを見るときは頻繁にチャンネルを切り替えない)

 

 これらがyesとなるようであれば、幸福度は高いということになります。逆に言えば、これいう類の事柄を積み重ねていけば、幸福になれるということかもしれません。ただし、因果関係については確認できていません。本書では、クラスター分析の結果を述べているのですが、本稿では十分に照会できないことをお許しください。

 長くなりましたので、今日はここまでとします。今回、ぜひお伝えしたかったブータン人の心持ちについては一切触れることができませんでしたので次回とします。

朝晩の冷え込みが厳しくなっております。くれぐれもご自愛ください。

 

二十四節気「立冬」に思う「英語教育の充実」

2019年11月11日 14時59分

 11月8日(金)は、二十四節気「立冬」でした。確かに、先日の朝には、久万高原は一面霜に覆われ、秋をとばして冬の装いに早変わりでした。朝もやが晴れたあたりから、田んぼや川面から湯気(?)が立ち上がる幻想的な風景が見ることができます。これも久万高原に住んでいる人のみぞ知る絶景だと思います。

 さて、そろそろ今年度の取組について省察する時期となりました。保護者や地域の皆様の声にしっかりと耳を傾けて、来年度に向けたよりよい協議を行いたいと考えています。

 

 それとは別に、来年度ぜひ実現させたい事業を述べてみます。これは、久万中学校単独でできないことなので、これまでに関係各位に口頭、または文書でお願いしてきましたが、引き続き要望していきたいと思います。

 

1 中学生海外派遣の実施

 久万高原町教育委員会では、上浮穴高等学校生徒の希望者の一部をドイツなどの海外に派遣しています。これに参加した生徒にとって、これはとても有意義な体験であり、とってもすばらしい政策であると思います。それならば、この政策を管下の中学校を対象に手を広げ、中学生海外派遣を実施してもいいのではないかと考えました。そこで、久万高原町に対して、実施案を提案いたしました。至急検討いただき、速やかに実施されることを期待しています。

 

2 長期休業中における小中学生英語キャンプの実施

 久万高原町教育委員会の方針として、英語教育に力を入れています。そのため、久万中学校に英語教員を複数配置していただき、中学生への英語力向上に力を入れるとともに、この教員を小学校にも兼務をかけており、小学校における英語教育の推進を図っております。

 全国学力・学習状況調査においても、高い学力を示している久万高原町の中学生ですが、近い将来には、特に英語力についてはダントツの力を身に付けさせたいと考えております。そのためには、学校単独の取組に加え、町全体の取組、後押しが必要だと考えます。今ある資源をどこに投入するかによって結果は大きく変わってきます。ぜひ、小学校高学年から中学校段階で重点的な取組をすることが好結果を生むのではないかと考えておりますが、これも、引き続きお願いしていきたいと思います。

 手始めとして、ゼロ予算で、久万中学校単独で、この冬休みに「英語ウインターセミナーin久万中」を実施したいと考えています。多くの児童生徒の方に参加していただけるとありがたく存じます。来年度から、町の事業としてどこかでキャンプしながら、実施してほしいと願っています。

 

3 その他

 本町は各学校に数十台ずつ、タブレット端末が配布されています。これを有効活用することが本校の課題ですが、町の所有物であるため、正直使いづらい部分もあります。それは生徒が家で使用できないことです。貸し出すことによって生じる問題も多々あることは承知しておりますが、許可いただけるよう町との交渉を続けていきたいと思います。

 

 これら1、2、3は、本校の生徒の英語力を高めるための取組です。数値目標を上げるとすれば、小学6年生で英検5級程度、中1で英検4級程度、中学校卒業時には全員が英検3級を取得、中には英検準2級を取得する生徒が出るようになればいいなと考えています。また、小学校から取り組むのは早いほど成果は上げやすいということからです。やるべきことをやらずにこれのみ必死でやるということにならないよう、留意する必要はありますが…。

 

4 英語教育に力を入れるのは…??

 本校が、英語教育を重視する理由は、今、生徒たちにとって英語教育を行うことが他の教育よりも最も重要である、というものではありません。英語ができるようになると、現時点では、生徒の可能性が広がりやすく、他校生徒等と差別化が図れ、また、取り組みやすく効果も表れやすいと考えているからです。「現時点では」と但し書きをしたのは、まもなく高性能の翻訳機ができ英語を話せる必要が全く必要なくなる可能性は大だからです。

 高性能翻訳アプリができようとできまいと、大事なことは、①さまざまなことに気付けること、②気付いたことをじっくりと考え、自分の考えを持てること、③それを自分の考えとしてわかりやすくまとめること、④その考えを他の人に日本語を使って表現すること等を磨くことは日本人である以上避けては通れません。

 人にはいろいろな表現方法がありますので、言葉以外の表現も大切にする必要があります。したがって、本校では、運動、ダンス、弁論と同様に、英語についても表現方法の一つとして、あらゆる場面で久万中生の表現力を高めていきたいと考えております。

 

 

p.s. 先日、ある教職員の学級通信に「秋の夜長を何にいそしみますか」というテーマで自分の愛読書を紹介している記事がありました。この校長だよりを見てくれている教職員もいるのだと驚きました。(驚くのは本当はおかしいのですが…)お役に立てているようでうれしくもありました。

 先日マラソン大会の際に、また、バスに関する不手際がありました。今回は、バス時刻と場所がきちんと伝わっていなかったというものでした。前々日に保護者の方からの連絡で事なきを得ました。ご連絡ありがとうございました。