校長より

校長だより

「志の道」を歩いてみませんか?

 四国中央市新宮町に「志の道」があります。道の駅の駐車場から新瀬川を上流に向かって1.5㎞程度の道のりでしょうか?この道沿いには、12碑+αの志を持って人生を駆け抜けた先哲の言葉が記されています。駐車場入り口には、元文科大臣 有馬朗人(あきと)先生の文字でしっかりとした文字で「志の道」と刻まれています。そこから少し進むと松下幸之助さんの詩「道」が現れますが、それが第1碑です。

 これらの碑が設置されたのは、2001(平成13)年の11月だそうです。元文科副大臣で元衆議院議員の小野晋也先生と地元有志の皆様の尽力で石碑を並べ「志の道」と命名したそうで、平成16年には、「美しい日本の歩きたくなるみち500選」にも選ばれています。いずれの碑も、日本が誇る先達のお言葉ですから、魂からほとばしる力強さがあり、体の底から力が湧いてくる、そんな心持ちになります。「美しい自然」「豊かな人柄」「勇気を与える言葉」をテーマに、現代人が忘れかけている大切なものを思い起こす場所にしたいという祈りを織り込んだそうです。一度ぜひ歩いてみてください。もし必要であれば、私が小野先生にガイドをお願いしたり、つたない解説でよければ私がご案内いたしますので、遠慮せずお声掛けください。

1 若くして学べば・・・

 さて、私が一番強くひかれたのは、第8碑「少(わか)くして学べば壮にして成すあり 壮にして学べば老いて衰えず 老いて学べば死して朽ちず(佐藤一斎)」の言葉です。これは、江戸時代昌平坂学問所の学頭で朱子学者(裏では実は陽明学者)の佐藤一斎「言志四録」からの引用です。子曰わく、四十にして惑わずのはずなのに、40代前半に日々事務作業や仲裁・交渉に明け暮れて、テクニカルな部分ばかりを伸長している気分に陥り成長のなさに戸惑いを感じていた頃がありました。そこで勉強不足を解消しようとあれこれ手を出していましたが、ある雑誌で小野先生の「人間学」へと誘う文書が目につきます。このとき掲載されていたのがこの言葉でした。今は焦らず老後衰えないよう自分なりに頑張ればいいのかと気づいた言葉でした。現代の子ども達はその多くがおそらく人生120歳超の時代を生きることになります。勉強するのに遅いということはない。今や18年や22年のみ蓄積で生き抜けるはずがありません。若い頃には若い頃の勉強が、壮年期には壮年の、いつの時代にも必要な学びが待ち受けているのです。

 こんな言葉が厳選されている「志の道」を一度歩いてみませんか?

2 坂村真民「自分の花を咲かせよう」

 坂村真民といえば、「念ずれば花開く」で有名な愛媛が誇る詩人です。といっても、生まれは熊本。よくぞ愛媛の地を終焉の場所としてくださったものだと感謝しきりです。真民詩には、愛と真理がちりばめられていると心底感じます。今、世にある多くの言葉に真民詩を参考にしたものがあまたある、そんな気がします。ちなみに、この「念ずれば」の碑は公認されているだけでも全国に620基、海外20基を超えるそうです。この言葉は、真民さんのお母さんがよく口にされていた言葉で、その出典は不明、おそらく今もわからず坂村真民記念館の西澤館長さんも探し続けているやにお聞きしました。

 第4碑は、これではなく、「自分の花を咲かせよう」が選ばれています。

 第1碑~3碑で、松下幸之介、吉田松陰、勝海舟の言葉を引用して、「人生は天与の尊い道だ。与えられたものではあるが、その人生は自分のものであるから志を立てたならば、信じた道を迷わず進め。しかし、人生にはいい時もあれば、悪い時もある。しかし、ピンチはむしろチャンスだ。」ということを示唆しているのでしょう。説明が陳腐ですが…。そして、第4碑、人間として目指すべき道は「自分の花を咲かせることに他ならない」と続くのです。設置者の意図と少し違うかもしれませんが、そんなことをいっているのではないでしょうか。

3 ちなみに、第2碑、第3碑の説明を少し!

 吉田松陰がペリー船に乗り込もうとした罪で野山獄に幽閉された折に、松陰は囚人たちに孟子の言葉を講義していたそうですが、それらの言葉を「講孟夜話」にまとめています。第2碑には、その中か選んだ「自ら省みて直くんば千万人と雖(いえど)も吾往(われい)かん」が現代訳で書かれています。つまり、自分が信じた道は、たとえ一人であって突き進むという松陰の決意の表れがあるのです。小野先生は、これが志の定義だと説明されました。

 第3碑は、勝海舟の言葉です。勝は、中学校社会科では、咸臨丸で渡米した江戸幕末の幕府要人で幕府の海軍に尽力したと習いました。様々な歴史小説等でも、進歩的な考え方の持ち主として描かれたおり、実際、幕府代表者として西郷隆盛との会談で、江戸を戦火から守り無血開城を実現した立役者として知られています。この裏には、西郷隆盛との会談にこぎつけた山岡鉄舟の我を省みない働きが見逃せないようです。

 この勝海舟の言葉、「事の成るは艱苦(かんく)の時に在り 人の敗るるは多く得意の時に在り」です。成功は、艱難辛苦の先にあり、人が失敗するのは、手慣れて得意としていることを行っている時だというのです。この碑文を見た時、吉田兼好の「功名の木登り(徒然草)」にある「過ちすな、心して降りよ」という言葉を思い出しました。なぜそういったのか問われた木登り名人は、「そのことに候ふ。目くるめき、枝危ふきほどは、己が恐れ侍れば申さず。過ちは、やすきところになりて、必ずつかまつることに候ふ」といいます。これに対して、「聖人の戒めにかかなへり」と書いていますが、「君子、安けれども危うきを忘れず、存すれども亡を忘れず、治まれども乱を忘れず」という「易経」由来説が有力(?)だそうです。今の言葉で簡単にいえば、「チャンスはピンチ、ピンチはチャンス」でしょうか。

 人生を歩む際、志を貫く折の調子に乗ってしまいがちな自己を戒めたり、不安な心に負けずに最後まで貫いていけたりするように励ましの言葉として、小野先生はこれを選ばれたのでしょう!

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 当初、今回の話は、坂村真民詩を紹介するための引用だったのですが、例に漏れず、よそ道にそれてしまいました。この「志の道」についてももっと解説が必要となりました。次回こそ、ご紹介したい真民詩について、述べたいと思います。

安得類古人 千載列青史(頼山陽)~少年の日に寄せて~

 少年式を迎えた皆さん、おめでとうございます。保護者の皆様も節目の日を迎え、感慨をひとしおのこととお慶び申し上げます。

 前日からの雨が上がり、松山方面からトンネルを過ぎ明神、久万の里は、ゆっくりとたなびく雲のような霧が穏やかで柔らかくしなやか、でもピーンと緊張感が漂う、そんな風景でした。

 そこで、式辞に急きょ、「夜来の前もあがり、久万高原に静寂の朝が訪れました」と読み上げたのですが、とたんに雷鳴が響くという恥ずかしい思いをいたしました。ともあれ、無事終了いたしました。2年生の集団の力は、この上なく大いに成長を感じさせる式典でした。また、1年生の式典の準備、臨む態度が抜群で、今後の活躍を期待させるとてもいい式典だったと思います。

 式典の最後に、「ちょっと待った」という生徒の言葉で予定していない、教員への感謝状?が手渡される一幕もありました。生徒が自ら考え行動してくれた気持ちは大事にしたいと思いますが、今後式典で行うことは控えたいと思います。

 今回の式辞では、主に2つのことを述べさせていただきました。

1)志を抱くこと。「元気」の重要性

以下の江戸時代の思想家・文人である頼山陽(1781-1832)の漢詩です。

 

「述懐」(じゅつかい)(「立志之詩」と書いている記述もあり)

十有三春秋(じゅうゆうさんしゅんじゅう)

逝者已如水(ゆくものはすでにみずのごとし)

天地無始終(てんちしじゅうなく)

人生有生死(じんせいせいしあり)

安得類古人(いずくにかこじんにるいして)

千載列青史(せんざいせいしにれっするをえん)

訳:自分が生まれてから、すでに十三回の春と秋を過ごしてきた。水の流れと同様、時の流れは元へは戻らない。天地には始めも終わりもないが、人間は生まれたら必ず死ぬ時が来る。なんとしてでも昔の偉人のように、千年後の歴史に名をつらねたいものだ。

引用:令和2年1月22日検索http://e2jin.cocolog-nifty.com/blog/2013/10/post-1b61.html

 

 この詩を読んで、国民教育の師父と呼ばれた 森信三氏は、同じ14歳の年に祖父から頼山陽のこの詩を教えられ、彼の境涯に至ったいなかったことに対する口惜しさをいつまでも忘れていません。それは、おそらく、「天地終始なく、人生生死あり」と14歳の少年が天地自然の理を簡略に表現している部分だったようです。その後、森は、「人生二度なし」という哲理を原点に自身の教育道を貫きます。

 内村鑑三(1925)「後世への最大遺物」にも頼山陽の引用をしている部分がありますが、内村同様、多くの先達がこの詩に、励まされ、または打ちのめされ、立ち上がってきたものと思われます。内村が注目しているのは、「いずくにか個人に類し、千載青史列するを得ん(なんとしてでも昔の偉人のように、千年後の歴史に名をつらねたいものだ。)」の部分です。つまり、14歳の少年がこれほど大きな志を立てているところです。

 本校では、「夢」「知恵」「元気」を持つことが人生を豊かにすることだとして、自分の人生の主人公として歩んでいける生徒を育てようとしています。「夢」というと、人生の最終ゴールのように感じるかもしれませんが、そうではなくて、本校では目標を夢だと説いています。したがって、1つの大きな夢よりも、今は1,000の小さな夢の持ちそれを達成することを重視しています。これは、既に大いなる夢を持っている中学生がいるならばそれを否定するものではありません。しかしながら、少年時代に思い描いた夢をいつまでも追い求めることができず、達成できないことが多くみられます。また、学びの途上にある生徒が大きな夢を描くことは困難であろうと思うのです。そこで、、本校ではその夢が見つかったとき、「それはどうして」と問うことでその志は何かを考えるようにしています。それを、「元気」と呼んでいます。言い換えれば、動機、理由、根拠、志の部分です。

 今何になりたいのかわからない、つまり、「夢」が定まらず不安を感じている人がいるかもしれません。そんなとき大切なのは、頼山陽な山陽のような「なんとしてでも昔の偉人のように、千年後の歴史に名をつらねたい」というような大きな志を持つことが大切だと考えます。人の役立つ生き方をしたいとか、全世界を駆け巡って生きていきたいとか、自然環境、動植物の命を守りたいとか、それが、「元気」です。人生における志、それを私は「元気」と表現していますが、それぞれの「元気」の火を大きく燃え上がらせる時が今訪れているのです。「元気」が大きければ大きいほど、多ければ多いほど、強ければ強いほど、大いなる人生を歩むことができるのです。

2 志(元気)の条件

 ただし、「元気」には一つ条件があります。それは、それが正しいものかどうかということです。そのためにしなければならないことは、正しいか誤っているかを見極める目、正しい判断ができる力を持つことが大切です。

 正しい目、判断力を磨くために今すべきことは何か、それは、万物の真理、物事の通りを学ぶこと、つまり、学校で今学習している各教科の内容をです。したがって、今すべきこと、これは学校での学びをとことん追究することです。正しい目、判断力を磨く方法は、もう一つあります。それは、先達のいうことを守るということです。つまり、保護者の皆様、地域の皆様、学校の教職員もその一人です。生徒を愛し、育んでくださるすべての方々の教え、考えに耳を傾けることではないでしょうか。

3 人生の主人公は自分自身

 「道」                松下幸之助

自分には 自分に与えられた道がある。

天与の尊い道がある。どんな道かは知らないが、他の人には歩めない。

自分だけしか歩めない、二度と歩めぬかけがえのないこの道。

広いときもある。狭いときもある。

のぼりもあれば、くだりもある。

坦々としたときもあれば、かきわけかきわけ汗するときもある。

この道が果たしてよいのか悪いのか、思案にあまるときもあろう。

なぐさめを求めたくなるときもあろう。

しかし、所詮はこの道しかないのではないか。

あきらめろと言うのではない。

いま立っているこの道、いま歩んでいるこの道、とにかくこの道を休まず歩むことである。

自分だけしか歩めない大事な道ではないか。

自分だけに与えられているかけがえのないこの道ではないか。

他人の道に心を奪われ、思案にくれて立ちすくんでいても、道は少しもひらけない。

道をひらくためには、まず歩まねばならぬ。

心を定め、懸命に歩まねばならぬ。

それがたとえ遠い道のように思えても、休まず歩む姿からは必ず新たな道がひらけてくる。

深い喜びも生まれてくる。

引用:松下幸之助(1991)「道をひらく」

 

 この詩は、パナソニックの創業者 松下幸之助さんの詩です。生徒には、それぞれ天分を生かしたその生徒だけにしか歩めない唯一無二の大いなる人生が待っています。そのために、今は蓄える時、学ぶ時に他ならないと思うのです。

 

生徒の皆さん、保護者の皆様。

 あと一年、私たち教職員にそのお手伝いをさせてください。そのためならば、我々はどんな苦労も、我が喜びとして、尽くす覚悟を持っています。なぜならば、それこそが、我々が若かりし頃に打ち立てた人生を貫く志、野望なのです。

 生徒の大いなる成長と今後の活躍を心より楽しみにしております。

 長々と申し訳ございません。

 

今学期のテーマは、「格好いい行動をしよう、格好いい人生を送ろう」です。

「夢・知恵・元気」の考え方の浸透について継続指導を。

今学期のテーマは、「格好いい行動をしよう、格好いい人生を送ろう」です。

そのためにまず教師が「格好いい」大人の範を示す!!

 

 新年にあたり、生徒には今学期の目標を、先生方には学校経営方針をお伝えいたしました。

 今学期のテーマは、一人一人が「格好いい生き方」ができるようになるです。

(1)自分にとって険しい道、難しい道を選ぶということ。

 おそらく、格好のいい生き方は一見困難な道だと思います。東大の元総長であった河合栄治郎氏の言葉であったと記憶しておりますが、「あなたたちの人生はこれからいくつもの分岐点がある。その分かれ道で右側と左側、どちらに行ったらいいか迷ったときには、険しいと思う道を選びなさい。」と言われたそうです。おいしそうな道は何か落とし穴があるものです。厳しい道はピンチの連続かもしれません。しかし、ピンチの後は必ずチャンスなのです。ピンチの陰にチャンスが潜んでいます。厳しい道のりを行くには覚悟がいります。覚悟を持ってあえて険しい道を邁進しようということです。

(2)自分らしく生きる。

 生徒は、人の期待に応えるために生きているのではないという自覚をもつこと、冷たい言い方をすれば、自分は自分、人は人という考え方も必要だということです。つまり、自分は人にほめてほしいから行動しているのではない、自分自身が満足したい、納得したいから何かを行動を行うのだと自覚することです。もちろん、承認欲求は誰にでもあり、行動の原動力になることは事実です。しかし、相手の感情等、自分でコントロールできないことに不安を感じたり、要らぬ妄想したりすることはやめるべきです。人の目ばかり気にする生き方は、全く格好よくありません。

(3)利他に生きる、人のために生きる。

 これも格好いい生き方の1つです。ラグビーのタックルはとっても痛く怖いプレイですが、人を生かすために身を挺して相手に飛び込んでいくのだそうです。桜ジャパンがなぜ日本人の心をとらえたか、それは、人のために奉仕する生き方もきっと格好いい生き方だと感じたからだと思います。

 利他に生きるといっても取り立ててむずかしいことをせよと要求しているのではありません。日々の清掃時間にまじめに取り組んだり、先生や友達に先に元気よく挨拶したり、いつも笑顔であったり、やさしく温かい言葉掛けや前向きな言葉を発したり、自分が正しいと思う当たり前のことを当たり前に行う、それだけでいいのです。いや、日々それを続けることが立派な奉仕だと思います。

 以前に「七施」でお願いした通りです。温かな心から現れる他人への施しをコツコツと積み重ねていくことが大切です。

 

 あっという間の3学期です。

 しかし、個人の力を伸ばす大切な3学期です。生徒の更なる飛躍を祈っています。

 先生方への学校経営方針は省略します。

今年もお世話になりました。来年もよろしくお願いいたします。

 令和元年大晦日の夜を迎えました。テレビからは紅白歌合戦の音楽が流れています。皆様にとって、今年はどんな1年でしたか?思い立ったが吉日、思いつけば即実行を旨としてきた者としては、悔いの残る部分が多くあり、申し訳ないと思うことが少なからずあった1年でした。しかしながら、様々な場面で皆様のご理解、ご協力を得ることができ、光栄でありがたい1年でもありました。心より感謝申し上げます。

 多くの取組を行いましたが、どれほどの成果が得られただろうと今、振り返っています。来年は、ポイント絞り、ねらいを明確にした上で実行し、それを検証し修正しながらさらに実践していきます。そして、生徒はもちろん、教職員、保護者の皆様、久万中学校に関わってくださった皆様全員に、(学校に、また校長に、そこまでの力がないことは重々承知しておりますが、今日は大風呂敷を広げてみたいと思います…)何かしら目に見える成果が得られますようしたいと思っています。そのために、まず自分自身を高めていくことから始めたいと思っています。来年もよろしくお願いいたします。

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 さて、令和元年最後の日に、年を越えないよう以前に先延ばししていたブータンの幸福感についてお伝えしたいと思います。これは、道徳ジャーナル99号(学研教育みらい)掲載の山元加津子さんの「21世紀心の時代に」を参考にして論じたものです。

1 本校の幸せの求め方

 ここでは、筆者である山元氏の友人がブータンのある学校の教育目標を見て、驚きを禁じ得なかったという内容が述べられています。それは後に述べるとして、まず、本校の学校教育目標を説明しておきます。本校のそれは「夢×知恵×元気 (略)の育成」で、夢・知恵・元気を意識した生き方を行うことで、より主体的に生きることを大切にしているのです。もしかしたら、かつて生きることは当たり前という考えが希薄になり、最近特に、生きる意味について思い悩む生徒が極めて多く、このことについて真剣に伝えて納得してもらわなければならないと感じています。この「生きる意味」を生徒にどう伝えるかについては、早急に教職員全員で議論を重ねていきたいと思います。

 ただ、この解にはなりませんが、「夢・知恵・元気」で、生きる道標を持つ生き方は、この問題の解決に有効な考え方、解決の一助になると考えています。つまり、自分自身が夢を持ち、「やればできる、きっとできる、必ずできる」と信じて主体的に生きれば、生きることに疑問を感じることなく、たとえ感じたとしてもそれを乗り越えて、きっとたくましく生き抜くことができると考えたからです。

 世界三大幸福論と言われる、アランことエミール=オーギュスト・シャルティエ(フランス)の幸福論は、1925年に書かれました。その中では様々な角度から幸福について論じられていますが、その1つに「人は幸福になる義務がある」と述べています。最近、生徒に「なぜ、人は生きるのか」ということをどう伝えたらいいのかを考えた時に、「それは、人には幸福に生きる義務があるから」と小さいころから教え込む必要があるのではないかと考えるようになっています。

2 ブータンの子どもの夢、幸せ

 またまた、脱線してしまいましたが、話を元に戻します。ブータンの学校の教育目標のお話です。それは、「人の幸せを願える人を育てる」というもので確かにこれは驚きました。そして、友人は子どもたちに尋ねたそうです、「夢は何ですか」と。これに少年はこう答えます。「医者になりたい。苦しんでいる人を助けたいから」。次の少女は、「先生になりたい、子どもをしたいから」。その次の少年は、「サッカー選手」。「やっと出た、子どもらしい夢」と思ったのもつかの間、その理由は、「人に夢を与えたいから」だったそうです。ブータンの国民全員が、世界中の人々の幸せを祈っているのだそうです。大人も子どもも、その考えが染みこんでいるのだそうです。

3 自分のために生きることは間違い?

 自分のことを一番に考えることは間違っていません。自分以上に人は大切にできないからです。余談になりますが、先日、本校で開催した英語セミナーに県内の英語教育の第一人者である校長先生が訪問してくれましたが、「英語をうまくなりたかったら、日本語を磨くこと。第二言語は母国語以上には決してならないから」とおっしゃっていましたが、その考え方と同じですね。

 いじめについても聞いてみたそうです。不思議そうに「いじめってどんなこと?」と答えたそうです。「一人だけをのけ者にしたり、物を隠したり、ひどいことをみんなでいったりすること」と伝えると、「そんなことをしたら、自分をすきになれないでしょう?好きになれなかったら、誰のことも好きになれない。自分も幸せにできない。」と答えたのだそうです。

 この他にも、驚きは続きます。ブータンの人々は毎日、次のことを祈ります。一番目に今日亡くなった世界中の人のために、二番目に生きている世界のみんなの幸せのために、三番目に自分の国のこと、国民のことを。「なぜ自分のことを祈らないのですか」と聞いたら、「自分はみんなが幸せならば、それで幸せだから」だそうです。

 とことん、利他に生きること、これが彼らの幸せのようです。自分のために生きることが間違いとは思いません。だけど、今誰も彼もが自分、自分、自分ではないでしょうか?国民幸福度指数が低いとされたブータンですが、我々と考え方が全く違うこの国の方々の幸福度には、どうあがいてもかなわないようです。でも、勝つ必要もありません。ただし、我が国なりの幸福、幸福感とはどういうものなのか考えてみることは大切なことではないでしょうか?大人も子どもも承認欲求を満たすことに明け暮れている今、深く考えさせられたお話でした。

 自分の人生です。自分のために生きる人生は正しいことです。しかし、自分のためだけに生きる、我欲に生きる人生はいかがなものでしょうか?自他、自助・共助等、当たり前に使ってきたこの言葉の意味を、生徒に共にもう一度かみしめてみたい、そんなことを気付かせてくれました。そうこうしているうちに、紅白歌合戦が終わりました。皆様方のご健康、ご多幸を心よりお祈りし、併せて自分の幸せを祈りつつ、筆を置きたいと思います。来年もよい年でありますように!!といいつつ、年内の投稿が間に合いませんでした。

 ふと「星の王子様」を思い出しました。これを使って、全校道徳がしてみたいと思いました。

 

幸福って何だろう!その1

 昨日から、個別懇談会が始まりました。学級担任の先生方には、20分間、具体的事例を基に95%の時間を「ダメだし」ではなく、「いいとこだし」となぜそれがいいことか意義付け、意味付けをほしい、そのうえで残りの5%についてお願い事項や課題を伝えてほしいとお願いしました。この懇談を機に、子どもたちのやる気の芽が膨らみ、さらに大きく成長してほしいと願っています。

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 さて、世界幸福度ランキングというものがあります。調査対象全156か国でのランキングを表したものです。国民総生産(GNP)ではなく国民総幸福量(GNH)が大切だとするブータン政府が提唱して、2012年に始められたものだそうです。2019年のランキングは、1位からフィンランド、デンマーク、ノルウェー、アイスランドと続きます。イギリスは15位、ドイツは17位、アメリカが19位で、わが国日本の順位は58位で、幸せの国といわれているブータンは95位なんだそうです。その基準となる指標は、「人口当たりのGNP 」「社会的支援」「健康な平均寿命」「人生を選択する自由」「性の平等性」「社会の腐敗度」で、これをポイント化して順位を出しています。これらの指標は随分欧米的な価値観に基づくもののような気がしますが、本当にこれで幸福を図れるものか疑わしい限りです。

 

 そもそも幸福って何でしょうか?前野隆司氏(2013)の著書「幸福メカニズム」を参考に述べてみます。トルストイが「幸福な家庭は皆に通っているが、不幸な家庭は不幸の相も様々である」と述べるように、幸福な家庭を想像すると、おそらくみんな同じようなイメージが思い浮かぶと思いますが、不幸は「悲しみ、苦しみ、怒り、嫉妬、憎しみ、あきらめ」といろいろあるものです。かといって、幸福の形は一つかといわれると多様であるようにも思います。前野氏は「幸せの統合的イメージを明確な形で共有していないから争ったり、ねたんだり、憎んだり、悲しんだりを繰り返している」と述べていますが、確かに一理あるなと感じました。

 幸福には、客観的なものと主観的なものが存在します。先ほど述べた幸福度ランキングでは日本やブータンは上位ではないけれど、日本人やブータン人はその順位に納得はできないだろうと思います。それは、幸福感というものは、主観的なもので自分自身が感じるものであると思うからです。幸福とは他から与えられるものではなく、自分自身が努力して手に入れたときに感じるものだと思うからです。やはり、幸せの要因はトルストイがいうように単純ではなく、幸福は人それぞれの捉え方であり、幸せの種は随所に蒔かれていると考えるのが自然だと思います。自分自身の感じ方次第で幸福にも、不幸にもなるということなのでしょう。前野氏は「人は金銭欲、物欲、名誉欲などに目がくらみ、目指すべき方向を間違ってしまいがちな生き物である」と述べていますが、その通りだと思います。ある調査で「もっとお金がった方が幸せだったと思う」という調査項目に対して、日本人の65%がyesと答えたそうです。ちなみにロシア人、中国人は70%であるのに対して、イギリス人21%、アメリカ人16%だそうで、日本人は物質的な幸せを求める傾向にあるそうです。道を外さないようにしないといけませんね。

 

 前野氏が述べる学術的内容を紹介しておきます。幸福に影響する要因はたくさんあることは間違いないのですが、外的、ないしは身体的要因ではなく、内的要因にはどのようなものがあるのでしょうか?前野氏らが行った研究によると、幸せに関連の深い心的因子は次の通りだそうです。

 

① 第1因子「やってみよう!」因子

 〇コンピテンス(私は有能である)

 〇社会の要請(私は社会の要請に答えている)

 〇個人的成長(私のこれまでの人生は、変化、学習、成長に満ちていた)

 〇自己実現(鋳物自分は本当になりたかった自分である)

 

② 第2因子「ありがとう!」因子

 〇人を喜ばせる(人の喜ぶ顔が見たい)

 〇愛情(私を大切に思ってくれる人たちがいる)

 〇感謝(私は、人生において感謝することがたくさんある)

 〇親切(私は日々の生活において、他社に親切にし手助けをしたいと思っている)

 

③ 第3因子「何とかなる!」因子

 〇楽観性(私は物事が思い通りにいくと思う)

 〇気持ちの切り替え(私は学校や仕事での失敗や不安な感情をあまり引きずらない)

 〇積極的な他者関係(私は他者との近しい関係を維持することができる)

 〇自己受容(自分は人生の中で多くのことを達成してきた)

 

④ 第4因子「あなたらしく!」因子

 〇社会的比較志向のなさ(私は自分のすることと他者がすることをあまり比較しない)

 〇制約の知覚のなさ(私に何ができて何ができないかは学部の制約ではない)

 〇自己概念の明確傾向(自分自身の信念についてはあまり変化しない)

 〇最大効果の追求(テレビを見るときは頻繁にチャンネルを切り替えない)

 

 これらがyesとなるようであれば、幸福度は高いということになります。逆に言えば、これいう類の事柄を積み重ねていけば、幸福になれるということかもしれません。ただし、因果関係については確認できていません。本書では、クラスター分析の結果を述べているのですが、本稿では十分に照会できないことをお許しください。

 長くなりましたので、今日はここまでとします。今回、ぜひお伝えしたかったブータン人の心持ちについては一切触れることができませんでしたので次回とします。

朝晩の冷え込みが厳しくなっております。くれぐれもご自愛ください。

 

二十四節気「立冬」に思う「英語教育の充実」

 11月8日(金)は、二十四節気「立冬」でした。確かに、先日の朝には、久万高原は一面霜に覆われ、秋をとばして冬の装いに早変わりでした。朝もやが晴れたあたりから、田んぼや川面から湯気(?)が立ち上がる幻想的な風景が見ることができます。これも久万高原に住んでいる人のみぞ知る絶景だと思います。

 さて、そろそろ今年度の取組について省察する時期となりました。保護者や地域の皆様の声にしっかりと耳を傾けて、来年度に向けたよりよい協議を行いたいと考えています。

 

 それとは別に、来年度ぜひ実現させたい事業を述べてみます。これは、久万中学校単独でできないことなので、これまでに関係各位に口頭、または文書でお願いしてきましたが、引き続き要望していきたいと思います。

 

1 中学生海外派遣の実施

 久万高原町教育委員会では、上浮穴高等学校生徒の希望者の一部をドイツなどの海外に派遣しています。これに参加した生徒にとって、これはとても有意義な体験であり、とってもすばらしい政策であると思います。それならば、この政策を管下の中学校を対象に手を広げ、中学生海外派遣を実施してもいいのではないかと考えました。そこで、久万高原町に対して、実施案を提案いたしました。至急検討いただき、速やかに実施されることを期待しています。

 

2 長期休業中における小中学生英語キャンプの実施

 久万高原町教育委員会の方針として、英語教育に力を入れています。そのため、久万中学校に英語教員を複数配置していただき、中学生への英語力向上に力を入れるとともに、この教員を小学校にも兼務をかけており、小学校における英語教育の推進を図っております。

 全国学力・学習状況調査においても、高い学力を示している久万高原町の中学生ですが、近い将来には、特に英語力についてはダントツの力を身に付けさせたいと考えております。そのためには、学校単独の取組に加え、町全体の取組、後押しが必要だと考えます。今ある資源をどこに投入するかによって結果は大きく変わってきます。ぜひ、小学校高学年から中学校段階で重点的な取組をすることが好結果を生むのではないかと考えておりますが、これも、引き続きお願いしていきたいと思います。

 手始めとして、ゼロ予算で、久万中学校単独で、この冬休みに「英語ウインターセミナーin久万中」を実施したいと考えています。多くの児童生徒の方に参加していただけるとありがたく存じます。来年度から、町の事業としてどこかでキャンプしながら、実施してほしいと願っています。

 

3 その他

 本町は各学校に数十台ずつ、タブレット端末が配布されています。これを有効活用することが本校の課題ですが、町の所有物であるため、正直使いづらい部分もあります。それは生徒が家で使用できないことです。貸し出すことによって生じる問題も多々あることは承知しておりますが、許可いただけるよう町との交渉を続けていきたいと思います。

 

 これら1、2、3は、本校の生徒の英語力を高めるための取組です。数値目標を上げるとすれば、小学6年生で英検5級程度、中1で英検4級程度、中学校卒業時には全員が英検3級を取得、中には英検準2級を取得する生徒が出るようになればいいなと考えています。また、小学校から取り組むのは早いほど成果は上げやすいということからです。やるべきことをやらずにこれのみ必死でやるということにならないよう、留意する必要はありますが…。

 

4 英語教育に力を入れるのは…??

 本校が、英語教育を重視する理由は、今、生徒たちにとって英語教育を行うことが他の教育よりも最も重要である、というものではありません。英語ができるようになると、現時点では、生徒の可能性が広がりやすく、他校生徒等と差別化が図れ、また、取り組みやすく効果も表れやすいと考えているからです。「現時点では」と但し書きをしたのは、まもなく高性能の翻訳機ができ英語を話せる必要が全く必要なくなる可能性は大だからです。

 高性能翻訳アプリができようとできまいと、大事なことは、①さまざまなことに気付けること、②気付いたことをじっくりと考え、自分の考えを持てること、③それを自分の考えとしてわかりやすくまとめること、④その考えを他の人に日本語を使って表現すること等を磨くことは日本人である以上避けては通れません。

 人にはいろいろな表現方法がありますので、言葉以外の表現も大切にする必要があります。したがって、本校では、運動、ダンス、弁論と同様に、英語についても表現方法の一つとして、あらゆる場面で久万中生の表現力を高めていきたいと考えております。

 

 

p.s. 先日、ある教職員の学級通信に「秋の夜長を何にいそしみますか」というテーマで自分の愛読書を紹介している記事がありました。この校長だよりを見てくれている教職員もいるのだと驚きました。(驚くのは本当はおかしいのですが…)お役に立てているようでうれしくもありました。

 先日マラソン大会の際に、また、バスに関する不手際がありました。今回は、バス時刻と場所がきちんと伝わっていなかったというものでした。前々日に保護者の方からの連絡で事なきを得ました。ご連絡ありがとうございました。

   

久万中伝統・文化フェスタ19を終えて ~久万中は令和もおもしれーわ~

 本年度の「久万中伝統文化フェスタ19」が、来賓の皆様、保護者・地域の皆様併せて約260名のご来場をいただき、成功裏に終了いたしました。これも、ひとえに熱いご指導をいただいた講師の先生方、いつも大切に育て、見守ってくださっている保護者・地域の皆様のおかげと心より感謝いたします。

 生涯をかけて大切に取り組んでおられるそれぞれの伝統芸能を、たった7回の練習で、しかも、7~8分程度で発表してほしいと無理を押してお願いしましたこと、また、学校の都合で練習計画を立て、その間連絡不行き届きや非礼・不手際が恐らくあったものと思われます。孔子の先生方には、この場を借りて心よりお詫びいたします。しかしながら、生徒のためならと一肌脱いでくださり、笑顔で一生懸命にご指導いただきましたことを心より感謝いたします。生徒の頑張りは、恐らく先生方への恩返しだったんだろうと思いました。

1 案内ちらしのデザイン画とスローガン

 さて、今年は、案内ちらしを業者に依頼して印刷し、各家庭や事業所等に合計1,000枚配布いたしました。これには、理由があります。

 1つ目は、保護者の皆様のみならず、地域の皆様にも、中学校でこのような活動を行っているということを知っていただき、ぜひお越しいただきたいという思いがあったからです。つまり、それほど自信を持ってお届けできる行事であるということです、手前味噌ではありますが…。

 2つ目は、ちらしの表紙を描いた3年生の大堀くるみさんのデザイン画があまりにすばらしく、こんな力を持った中学生が本校にいることを町民の皆様にもぜひ知っていいただきたいと考えたからです。また、スローガンを作った大崎大輔君も同様です。中学生にもなると、「久万中は令和もおもしれ―わ」という、こんなユニークで素敵なキャッチコピーを作れるんだと驚きました。これには、「先輩たちが作った久万中も面白かったかもしれないけど、僕らの久万中も負けてないぞ」という最高学年の思いが表れているような感じがして、うれしく思いました。そして、教師一丸となって、生徒が、心底おもしろいと思ってくれる久万中を何としても作らなければならないと心を新たにした次第です。

 もう1つ理由を付け加えると、学校のコピー機では、大堀さんお描いた本物の色を出せなかったということで業者に依頼することにしました。しかも、うれしいことに料金が学校のコピー代の1/5以下でした。

2 目指す生徒像 

さて、本校では、「気付き考え表現する生徒」を育てようとしています。それを実現するために常に念頭に置くのが、学校の教育目標である「夢」「知恵」「元気」なのです。

 学習指導要領において、10年後の未来を「予想不可能な時代」だと述べています。そこで、本校では、そんな時代を生徒が力強く生き抜くために最も重要な力が「表現力」であると考えました。ただし、これ以上、新たに学校行事を増やすことはできませんので、ねらいを明確にして取り組むこととしました。そのため、これまでにも本校が取り組んできた「弁論大会」、伝統文化フェスタの「伝統文化体験活動」と「合唱コンクール」をリニューアルすること、2年生が外部のコンテストのために取り組んできたリズムダンスを運動会に「ダンスバトル」という競技に行うことで教科で取り組むこと等、様々な表現力を育成することを主眼において、取組方を変えるようにしました。日頃の授業においても、生徒同士で自分の考えを発表しあう場を増やしています。とりわけ道徳科では、教師と生徒の対話、生徒同士の対話に力を入れ、生徒の表現力を磨こうとしています。

3 表現力とは何か

 表現力は、「興味、関心、意欲、思考力、判断力、想像力、技能、知識」等に支えられています。大雑把に言えば、「技」が身についているか、「こころ」が整うか、どちらかあれば、人はよりよく表現できるようになると思うのです。

 卓越した「技」を持てば、ゆるぎない自信が生まれ、豊かに表現することができるでしょう。そこで、生徒にしっかりと準備させ確実に見取ることによって、生徒が成就体験を味わい、表現意欲が高まるはずです。

 もう一つ、「こころ」を整えることができれば、「意欲」「表現する勇気」を持つことができれば、上手下手は別にして堂々と表現することができると思います。この意欲・勇気は、他人に「できる」と励まされることでも高まりますが、中学生になった今、自分自身でこの力を高めてほしいのです。前にもこのコーナーで紹介した、「やればできる きっとできる かならずできる」の「やきか精神」を一人一人の心の中に作り上げ、「自信はなくても、不安があっても、意欲を持って、勇気を持って挑戦してほしい。そして、今までの自分を乗り越えてほしい。」と思うのです。

 結果は、すべての生徒がやり抜きました。見事であったと思います。どの発表、どの演奏にもすべての聴衆が惜しみない拍手をくださいました。感動の文化体験活動であったと思います。

4 合唱コンクールの歌声

 「合唱コンクール」についても、いずれの学級も力を存分に発揮したように感じました。2・3年生は、特に表現の部分が優れていたように感じました。1年生は、男子の人数も少なく、自信が持てなかったようで、音楽担任、学級担任等の叱咤激励になかなか応えることができず、練習では声が出せなかったようです。しかし、発表を終えて学級担任、音楽担任に感想を聞くと、これまでで一番の歌声であったと喜んでいました。その姿を見て、1年生の男子も乗り越えてくれたんだなとうれしく思いました。廊下で出会った1年生のある男子生徒に、「よく頑張ったな。でも、来年は今の2・3年生のように負けないように頑張れ!」と言うと「はい」と元気よく答えてくれました。

 最後に、なかなか自分の考えを表現できないで立ち竦んでいる若者に吉田松陰がかけた言葉です。「諸君、狂いたまえ」。久万中生も狂うほどに力を発揮してほしいと願っています。

1学期等からの懸案等についての進捗状況のご報告

 急に朝夕の冷え込みが厳しくなってきました。今年はいつもの年よりも紅葉の色づきが早いように感じますが、いかがですか?大雨の予報で心配された林業祭りも無事実施でき、盛況であったことをうれしく感じます。ただし、吹奏楽部の演奏が中止になったのは残念でしたが…。スプリングコンサートを前倒しして、クリスマスコンサートを実施する等の案も出ていますので、その節にはぜひ学校まで足をお運びください。

 

 さて、1学期からの懸案でもあり、9月4日に開催されたPTA運営委員会で質問をお受けした事項について、校長の私見を述べてみたいと思います。この後、職員会議にて教職員の意見も参考にしながら、実行に移していきたいと考えております。もうしばらくお待ちください。

≪課題≫

 1 カバンが重く、姿勢にも影響するのではないかという点について

  中学校になって、毎日持参する学用品の多さに驚いている。もう少し精査して、教科書を置いて帰る、いわゆる「置き勉(置き勉という響きが個人的に好きではないので、以下、「置き教科書」と呼びます)」で対応できないかという議論です。

2 スリー出会いウイークの実施日数の減少について

  今年度は、中日に意見交換会、シンポジウム等を入れ「目標設定⇒実践⇒振り返り(シンポジウム)⇒目標設定⇒実践⇒振り返り⇒発表」のサイクルで学ぶことにしています。そのことで、実践の日数が減っていることについてです。

3 部活動の時間の問題について

  部活動によっては、決められて時間以上に実施しているのではないかという指摘に対する回答です。

≪進捗状況のご報告≫ ※ 最終決定ではありません。ご理解ください。

1 「置き教科書」について

 地区集会でご質問いただいたこの件について、ずいぶん回答が遅れておりますことをお許しください。ただ、話し合っていなかったのではなく、教職員で協議を続けておりますが、いまだ有効な改善策が得られず思案していたということです。学校では、学習の構えが崩れるのではないかとか、管理の問題にどう対処するのか等、どうしてもリスク管理に目が行きがちであるのが現状です。生徒が主体的に判断することが理想ですが、実際にそこまでできるのかという疑問も抱いております。

 今なお継続して議論を進めてきましたが、最終的に生徒が「毎日持ち帰るもの」を判断できるようなになれば、生徒の負担は軽減していくものと考えております。そのために、近く「置き教科書」の試行的実験を行いたいと考えています。詳細が決まりましたら、ご報告をいたします。ご報告が遅れましたことをお許しください。

2 「スリー出会いウイーク」について

 5日間どっぷりと事業所に入り、職業体験を行うことには生徒の望ましい職業観・勤労観、一人一人の発達・興味関心に応じた指導、社会との関連への理解等、さまざまなねらいがあり、本物に触れることは大きな教育効果があることは言うまでもありません。ただ、ともすると漫然と5日間を過ごしてしまうとその効果は半減してしまいますので、目標をもって、視点をもって職業体験に臨むことが肝要である考えております。

 そこで、本校では、2日間の体験を終えた生徒が中日(活動3日目)に一度学校に集まってシンポジウム等を実施することとしております。お手すきの方は、ぜひご来校ください。この活動には、他の生徒の体験を伝えあったり人生の先輩等のアドバイスを得たりしながら他との体験と照らしあわせることで、新たな気付きを得るとともに、残り2日間の目標やねらい、観察の視点等を明確にして再度体験に臨むということに意義があると考えているからです。つまり、よりよい学びとは、目標―活動―振り返り(省察)をいかに効果的に循環させるかにあるということです。中日に学校での振り返りを行うことは、本校ならではの特色ある取組であると考えておりますのでご理解ください。実施後、理論通りの結果が得られているかについて検証し、来年度に生かしたいと思います。

 「月曜日に事業所の臨時休業等で、体験日数が減る上に、学校での活動により職業体験の日数が減少する」とのご指摘がありました。中日の来年度以降は、月曜日が休業日の場合、前日の日曜日から体験活動を実施し、休業日は学校への登校をしないでよい日とする等の措置を取れるかどうか検討します。

 本年度については、既に月曜日休業の事業所では月曜日は行わないとの方針で計画を進めておりました。他の生徒と同様に5日間の体験を希望する生徒については、前日の日曜日に事業所の許可が得られれば自主参加をお勧めすることとします。ただし、日曜日については、授業日にすることができません。

3 部活動について

 部活動は教育課程外ですが、生徒の心身の成長に大いに寄与する重要な教育活動として、本校でも積極的に実施しております。練習時間等については、生徒の健康の保持増進を第1に考えた久万高原町のガイドラインに基づいた久万中学校部活動規定により、1日3時間以内の練習とし、水曜日と日曜日に週2回の休息日を設けて実施しております。ただし、これは、校長の許可により、季節や大会時期に応じて練習時間を柔軟に設定できるものとしており、日単位、週単位で厳密に縛るものとは考えておりません。1~2か月等の中期的計画に基づいて動いているものとご理解ください。

 また、部活動顧問の勤務時間は16:30までとなっており、日々の練習は教職員の奉仕的活動に委ねられている状況で、土日も同様です。したがって、部活動指導に消極的な教職員に対しても、校長が勤務として命じることはできません。部活動のねらいの一つに、競技力・技術の向上がありますが、それ以上に大切なことは、生徒が自分の好きな活動集団を通して、個人や集団全体が健全に心身の成長を遂げることができるということです。したがって、専門家が指導をしているとは限らないこともご理解ください。

 部活動に準ずる活動として学校体育の範疇を越え、社会体育として練習や大会への参加を学校に申請している部活動があることもご承知おきください。この活動に関して、不適当な運営、行き過ぎた指導等がある場合には、指導や勧告はできませんが、生徒の健全育成という観点から学校からの申入れやお願いをしたいと考えております。

 なお、現在、社会体育化を行っていない部についても、生徒や保護者様の総意により、心身の成長を目的としたスポーツ等少年団を新しく結成して練習や大会参加を行おうとすることに関して学校の承認事項には当たらないと考えております。新結成に際しては、ご一報いただければ幸いです。

 さらに、各部に入っている生徒の意欲、保護者様の思いに温度差があり、学校体育としてある程度線を引くことができますが、社会体育への参加について学校で規定することは難しい状況です。また、16:45以降の部活動は教職員の勤務時間を超えた奉仕的活動に委ねられており、生徒や保護者のご要望に応えられない場合については、何とぞご容赦ください。

 要はこの活動を通して、生徒が成長するということがねらいです。勝負事ですから、目標は「各大会でよい成績を目指すこと」ですが、目的はあくまで「生徒の心身の成長、健全育成」にあります。したがって、教育活動を逸脱した勝利至上主義は、本校の部活動の意義ではありません。

徳は弧ならず、必ず隣あり「論語(里仁)より」

 本校は、愛媛県教育委員会から特色ある道徳教育研究推進校の指定を受け、道徳教育の研究を進めております。10月16日には、中間発表会を実施し、愛媛県内から約150人の先生方にご来校いただき、授業公開や研究推進の状況報告について、ご覧いただきました。皆様方から頂戴したご意見を基に、今後の方向性について再検討しております。教職員一丸となって、よりよい研究が進められるよう取り組んでまいります。

 

(1)中学校は「道徳科元年」

 ご案内の通り、学習指導要領の改訂により、中学校においては今年度から、道徳科が始まりました。これまでも「道徳の時間」が年間35時間実施されており、各学校では副読本を購入する等、色々なところから資料を集めて、授業を実施しておりました。しかし、教科化により、今年度からは市町村ごとに採択された無償教科書が配布され、それを使って授業を行うようになっています。

 道徳科のねらいも変わりましたし、「これまで『道徳の時間』が有効に使われていなかったのではないか」との指摘を受け続けておりましたので、学校では新学習指導要領の趣旨に基づいて、積極的に授業を取り組んでいく必要性があります。

 では、新学習指導要領で求められるのは、どんな授業でしょうか?まず、「(現行)道徳的諸価値の理解を基に、道徳科の学習を通して道徳性を育てる」ことです。つまり、生活の中で既に形作られつつある道徳的な価値観を、対話の中で自己を見つめたり、物事を多面的・多角的に考えたりして、人間としての生き方の考えを深めていくこと、そのことで生徒の道徳性を高めていくことが重要だとされています。

 今回の発表会での研究授業を振り返ってみると、その学年の生徒も授業者の揺さ振りに簡単に負けず、教員にしっかりと食らいつき、自分の考えをしっかりと述べることができていたという印象を持ちました。また、これまで授業中の課題であった、「足の裏を床に付けること、腰骨を伸ばすこと、返事・発表の声の大きさに気を付けること」についてはおおむね改善が図られており、集中して授業に取り組むことができていたことは成長の跡を感じました。

 その一方で、これはどの学校においても共通の課題だと思いますが、生徒の発言の意図を教師が十分に組み上げることができていないと感じられる場面が多くみられました。指導方法的には、教師のファシリテーション能力、コーディネート力を磨くこと等が必要であること、指導内容的には、教材にどのような道徳的価値が潜んでいるのか教材を読み込んで内容のしっかり分析すること等、教師が令和仕様の授業力を向上させることが急務であると感じました。

 ご参加くださいました先生方から頂戴したご意見の数々をしっかりと精査しながら、今後の研究に生かしていきたいと思います。

 

(2)フロントランナーとしての久万高原町の道徳教育

 さて、今久万高原町は、高齢化率が45%を超え、超高齢社会に突入しております。このことを人は高齢化問題と捉えるむきもありますが、それは、20年後30年後の日本に当たり前にやってくる社会の姿でもあります。そう考えると、この地はこの国のフロントランナー、トップランナーなのです。このような落ち着き成熟した社会の中で、どう道徳教育を進めていくのか、どう生徒の道徳性を育てるのか、どうすればよりよく生きる子どもたちを育てることができるのか、本校の教育が日本の礎を築くんだくらいの気概を持って取り組んでいきたいと思います。

 

(3)徳は孤ならず、必ず隣あり

 本校の教職員構成は既に若返りが進んでおります。まだまだ未熟ではありますが、最近の若者はなかなか優秀です。頑なな部分も多く、例え年長者の言うことであっても、簡単には納得しないところもあります。しかし、それでいいと考えています。道徳元年の今年、「道徳科」はむしろそうでなくてはいけないのです。

 なぜならば、年齢、性別、役職は違えど、一教師として、一研究者として、一実践者として、道徳科を共に研究する仲間、同志だからです。考え方は違いはあろうとも、「徳は孤ならず必ず隣あり【「論語」里仁】」なのですから。

 今後も、教師同士が生徒と同様に、対話を楽しみながら、議論にワクワクしながら、研究を進めていきたいと考えております。

 

 

秋の夜長、皆様、何にいそしみますか?

 「天高く馬肥ゆる秋」。松山地方はまだまだ暑い日が続いていますが、久万高原には少し早い秋の訪れが感じられるいい季節になりました。街道にはコスモスやすすきが揺れ、明神の桜は紅葉が始まってきたように見えます。今はいい季節の代名詞として使われる「馬肥ゆる秋」の語源は、杜審言(としんげん:645年中国唐代の詩人、日本では大化の改新の頃ですね。)の詩『蘇味道(そみどう:648年同詩人)に贈る』に「雲浄くして妖星落ち、秋高くして塞馬肥ゆ」とあるのに基づくそうです。 昔、中国では、北方の騎馬民族の匈奴が収穫の秋になると大挙して略奪にやってきたので、趙充国(ちょうじゅうこく:BC137年前漢)将軍はそれを見抜き、「馬が肥ゆる秋には必ず事変が起きる、今年もその季節がやってきた」と、警戒の言葉として述べたのだそうです(ウキペディア)。語源を調べると今と違った使い方をしており、おもしろいですね。

 

 さて、皆様は、この秋の夜長を何にいそしみますか?日没が早くなってくると、部活動も早く終了します。秋の夜長を勉強漬というのもなかなか素晴らしいと思いますが、読書はいかがでしょうか?私は小さい頃から就職した後も、父から「勉強せよ」と言われない代わりに「本を読め」と耳にたこができるくらい言われ続けました。そのせいで読書は大嫌いでしたが(笑)。

 

 読書は心の涵養につながると言われます。インターネット上にも、読書の意義について書かれていますが、ある記事では、次の10のメリットがあると述べています。

① いろいろな話題に対応できる ②国語力、語彙力がアップ ③文章を書く力が身につく ④偉人の考えや言葉に触れることができる ⑤コミュニケーション力アップ ⑥仕事や勉強で成果が上がる ⑦小説やマンガで非日常を体験 ⑧想像力の向上 ⑨ストレス解消 ⑩移動時間等に時間を有効活用

 

 愛媛県教育委員会でも、「愛媛県子ども読書活動推進計画(第四次)平成31年度~35年度」の中で、「これから未来に飛躍する子どもたちには、自ら学び、考え、知見を深めようとする積極性、たくましさと、異なる価値観を認め合い、共に生きることのできる柔軟性、やさしさを身に付けていくことが求められています。読書活動を通じて、子どもは言葉を学び、感性を磨き、表現力を高め、想像力を豊かにするとともに、広く世界を知り、生きる力の基盤を身に付けることができます。」と読書の意義について述べています。

 とまあ、読書にはそれなりの意義があり、さまざまな効果があるということですので、ぜひご家族全員で読書にいそしんでみてはいかがでしょうか?

 

 そこで、最近手に取った1冊を紹介します。それは、ユヴァル・ノア・ハラリ氏の「ホモデウス」です。前作の世界1,000万部を突破した「サピエンス全史」の続編とも言えるもので、これから人類がどうなっていくのか未来予想を行った作品です。

 結論を言うと、人類は神になるということです。狩猟時代、すべての生き物、物にさえ神が宿るとされてきたものが、農耕時代には宗教を作り、神をあがめました。人間以外の生き物は神さえ宿っているとされた存在から家畜へと、人間以下の存在に落とします。そして、現代、①飢餓、②伝染病、③戦争をほぼ克服した今、次に引きずりおろしたのは、神でした。そして、未来は、これまでの人間至上主義から●●●至上主義の時代に突入していきます。とっても大事なことは、人間が●●●を操るホモデウスとAIに仕事を奪われた家畜同然の人間に区別されると予想してしています。(解釈の誤りがあった場合にはご容赦ください。)そして、ハラリ氏は、このような時代にならないように、予想が裏切られるように、と締めくくっています。

 

 よくわからない要約文になりましたが、興味は沸きましたか?もうほとんど忘れてしまいましたが、楽しいひと時でしたよ。ぜひ、秋の夜長を有意義に活用してください。